ショパンコンクール

日々の育児に忙殺され、すっかりブログの存在を忘れていた。自分にとっては、「書く」ことは、「弾く」ことと同じくらい大切で、好きなことのはずなのに、最近はちっともその時間がとれていない。ドイツにいたころは、仕事のあとに、よくパソコンに向かって文章を連ねていたものだった。一人っ子ということもあってか、一人の時間が昔から大好きだし、慣れっこだ。特に小学生のころから、夜の静かな時間が大好きだった。物も植物もみーんな寝静まって、わたしという人間がしんしんと夜にとけていく感じが何ともいえず好きだった。月との親和性を感じた。月が太陽のひかりを照らす鏡のような作用で光っているのだと知ったときは驚いた。今考えてみるといろいろと変に早熟?である。というより、私は根っからの夜型人間なのだ。そんな、ひとりの時間を愛する、夜型人間の、ひとりっ子の私が、ふたりのこどもたちを育てているのだから、大したものだ。たまには自分を褒めよう。よしよし、よくやっているぞ〜。よしよし、なでなで。

さて、今回のショパンコンクール、日本人のみなさまの活躍もあり、とても楽しめた。こどもが泣いていても、ご飯を作りながらでも、YouTubeでライブで生の演奏にふれることができるなんて!なんと贅沢であろうか。オンラインありがとう。神さまありがとう。それぞれのコンテスタントの音楽へのアプローチ、自己との対話、音楽との歩みに、それぞれの歩んできた道のりに、思いを馳せた。タッチのちがい、音色のちがいも、興味深かった。

高坂はる香のワルシャワ現地レポート♪10♪ショパン・コンクール優勝のブルース(シャオユー)・リウ インタビュー

ショパン・コンクール優勝の

ブルース(シャオユー)・リウ インタビュー

本当に素晴らしいインタビューだったこのやりとりを読むだけでも朗らかな人柄に心がほっとあたたかくなった。

「まず思うのは、誰かのために演奏することも大切だけれど、自分自身でいることも同時にとても大切だということです。言ってみれば、コンクールの前でも後でも、僕は僕で、変わりません。はたから見ると、ゼロから100%になった大ジャンプをした人に見えるかもしれませんけれど。

それでもこれからも同じように、できるかぎり穏やかで、誠実な自分でありたい。決してイライラしたり、自分で自分をスターだなんて思うような人にならないように気をつけたい。これは、音楽にとってもすごく大事なことです。
常に誠実であり、音楽に対して謙虚であること。すべての音楽家が目指すべきは、それだと思っています。」

音楽との距離が絶妙だ。決してひけらかさず、音と手をとりあっているような。音の中にいるような。

小林さんのいくつのときの演奏だろうか。うーん、、素晴らしい、、、彼女のなかには、彼女の人生のなかには、音楽が骨の髄まで染み込んで響き渡っているんだなぁ。その努力と歳月と気高さを想う。

牛田さんも素晴らしかったなぁ。胸がキューと苦しくなる。

ガルシアガルシアさんの爆発する生きる喜びと愛情にも魅了された。

https://youtu.be/QzcSduBtEuQ

この3人最高だなぁ

音楽の道のりは長く険しい。しかしだからこそ音楽は本当に素晴らしい。いつもどんなときも、すぐそばにいてくれるのだ。険しいと感じるのは高い山を登ろうとしているときなのかもしれない。今のわたしには、そのような登山をする余裕はないけれども、今は今で楽しみ方はたくさんある。人生の慰みになる。心を包んでくれる。勇気づけてくれる。なんと音楽は素晴らしいのだろう。子育てをしながらふと自分を見失いそうになるとき、楽器を弾くとスッと自分自身に戻れる。目指した山や、歩んできた道は、楽器を通して身体に残っている。不思議だけれど、私より私のことを知っているのは、ヴァイオリンの方なのかもしれない。それぞれがそれぞれの道を歩む。それぞれの楽しみ方がある。どんな人にとっても音楽は、そこで両手を広げて待っていてくれる。

今日の言葉*

“息を吸って吐く。満腹になって空腹になる。怖くなかったことが、またすごく怖くなる。生きていることは揺れ続けることなのだから、一つの「正しい怖さ」に感情を固定する必要なんてないのだと思う。死にたいと思って、でもやっぱり生きたいと思う。嫌いだと思って、やっぱり好きかもしれないと思う。吸うのが正しいのでも、吐くのが正しいのでもなく、吸ったり吐いたりするのが生きることなのだから、死にたいか生きたいか、好きか嫌いか、結論なんて出さずに、ちゃんと揺れ続ければいいのだと思う。

森田真生さん


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