切実

しとしとと雨が降る。傘をさして、夜道を歩く。ふと雨にぬれる植物が美しく、パシャリと映す。胸のなかには、小さな生きものが、なまあたたかい呼吸をしきりにしている。切実な吐息。切実な睡眠。命というのは、生きるというのは切実なのだと感じる。彼女がわたしの人生にはらりと舞い込んできてからの毎日は、切実だ。そして、それと同時に、どこか夢を見ているようでもある。つい数年前までは存在していなかった新しい人間がこんなに身近になり、毎日そばにいる。なんて不思議なのだろう。

七夕コンサートのリハーサルがおわった。手作りの紫蘇ジュースをいただく。炭酸がのどで心地よく音を立てる。おいしい。残り物ばかりだけど、と出された食事は、どれもこれもとても美味しくて、とてもしあわせだった。赤ちゃんまぶしいよねと、電気を消して、ろうそくをつける。まあるいやわらかい光。ぼうっとする。時間がとろんととけ出す。なんてことのない話を、ダラダラと続ける。こんなに、まったりと過ごすのはいつぶりだろう。確かに私は育児で忙しいけれど、それだけではない。都会の暮らしは、どこもかしこも慌ただしく、眩しすぎるのかもしれない。

考えてみると、ドイツでは、毎日と言ってよいほど、まったりとした時間というのが、暮らしのなかでふと訪れていた。みな、くつろぐのが上手なのかもしれない。オンとオフがしっかりしていて、オーケストラのリハーサルで、休憩中に少しでも練習しようものなら、「サチコ、今は休憩中だから、音出さないで。さぁ、コーヒーのみにいくよー。」と、手を引っ張られた。やるときはやる、休むときは休む。徹底している。

七夕コンサートで共演する翔くんのことが、すきなようで、天音さんはくつろいでいる。

ずいぶん、大きくなってきたね。赤ちゃんというのは、全方位から可愛い。腕も、手も、足も、爪も、お尻も、全部可愛い。オナラをしたとしてもまたまた可愛い。なんだかずるい生きものである。新生児のときの、フニャフニャ感はもうなくなり、ずいぶんがっしりとしてきた。それが嬉しくもあり、どこか切なくもある。どんどん成長するねぇ。

君が笑うたび、私も笑顔になるよ。

いつも、ありがとう。

毎日、ありがとう。

【満員御礼】そら塾 七夕コンサート🎋

今日の音楽*

今日の言葉*

余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」

正岡子規


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