巣立つ会

すっかり桜は青葉を覗かせているけれど…そういえば、3月に卒園式があった。 

2歳までの保育園だったので、一年足らずで卒園。コロナ禍で数年ずっと式らしいものをできてなかったそうだ。今回開催していただけたこと、本当にありがたかった。引っ越しに伴い入った園があらゆる面で、ちとおかしいぞ……となり、急遽転園を決意。勇気が要ったけど、あのとき動けてよかった。コロナ禍だったからか、空きがあった。鬱みたいに暗い表情になっていたあまちゃんが、次第に笑顔に。経験豊かで、あたたかく、懐の深い先生方は、心から信頼でき、安心して送ることができた。様々な工作やお散歩、お友達との交流、季節の行事の豊かさ。何から何まで本当に素晴らしかった。

園長先生のお人柄が、すべてを物語っていた。よい園長先生がいる園は、先生方ものびのびと自信と誇りを持って働いていると分かった。これまで20個くらい見学して、本当にいろんな園があると知った。本人の性格と相性もあるのだろうな。冗談抜きで、保育園は子どもの命を預けるところだから、納得して信頼して預けたかった。いつも心を尽くしてあたたかく子どもたちに接してくださった先生方には言葉で尽くせぬほどの感謝。。。

巣立つ会。こういう行事に保護者として参加するのは、初めて。感慨深かった。オギャー!とお腹から出てきた赤ちゃんを見て、「この子が入っていたの??この子はどこからきたの?」という不思議な感覚のまま、目の前にいる小さき人を育てることで精一杯な毎日だった。母として0才からスタート。いつの間にか母も3才に。母とは何ぞ?母になれているのか?理想の母とは?まさに暗中模索だった。何だか意思も強くて、しっかりとした子だったから、途中からは、母になることはそっと横に置いておいて、よき友だちになることにしたら、気が楽になった。生活の中で母がいろんなミスをすると、「ママ、それちがうよ?!」と、絶妙にツッコミを入れてくれて、完全に母子間でボケとツッコミが成立した。VIVA母子漫才!

結婚式の花嫁の手紙と同じく、卒園式なんて、もう私の号泣のツボど真ん中なので、かなり覚悟して、ハンケチを握りしめて登園した。前日、想像しただけで泣けてしまった。たくさんの親御さんたち。息を飲んで待つなか、こどもたちの超絶かわいい登場と同時に、背後にいた先生が、すでにすすり泣き。あかん。先生泣いたらあかん。いきなり、もらい泣き。園長先生のご挨拶。一言一言丁寧に話していたが、途中で、声がふるえて、ついに、言葉が出なくなった。一瞬シーンと静まり返る会場。おそらく、親たち全員泣いた。その先生の姿をみて、あぁ、こんなにも大切に思って接して下さっていたんだなぁと、もう涙涙涙。

そんななか、10秒に一回は後ろを振り返り、父母を確認するあまちゃん。その度に手を振って、前を向かせる。気を取り直して、証書授与。ひとりひとり名前を呼ばれて前に出て、先生の「おめでとう」に「ありがとう」と答えて、証書を受け取り、席に戻る。本格的。これを毎日、練習していたんだなぁ。みんな大きくなったねぇ。立派な声も、蚊の鳴くような声も、ひとりひとりの「ありがとう」の声が、心にシンシンと沁みる。あまちゃんの「ありがとう!」は一層沁みた。ハンケチを握りしめて、「おめでとう」と心のなかで叫んだ。おめでとう、こどもたち。おめでとう、あまちゃん。卒園、おめでとう。

今日の言葉*

「誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なり。」(中庸)

……天の道というのはなにをしなくても、そのままで誠です。すなわち「なるべきものがなるべきようになる」。放っておいても、その本来の性質を自然に完成させることができる。でも、それは天の道ですから、人間を超えています。もし、そんな人間がいたらそれは聖人です。

人間はそのままでは「なるべきものがなるべきようになる」ことはできません。どんなすばらしい親に育てられても、その子の天命にはゴミがついてしまいます。だから手助けが必要なのです。そのゴミを取り除きながら「なるべきものがなるべきようになる」ように手助けする。その行為が「これを誠にする」という行為なのです。

安田登「三流のすすめ」


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: