松葉舎ゼミ

ふりかえり投稿⭐️

江本伸悟さん 主宰の「松葉舎ゼミ」素晴らしい場だった。いろいろなことばや話が、特に目的地を決めることなくフワフワと空中に浮かんだ。その雲たちを眺めながら書き留めながら自分の中で問いが湧いたり考えが巡ったり。達成感を求めたり、損得勘定で動くというのとは無縁の、その場にいる皆で思考の散歩をしているようだった。

久しぶりに鉛筆で紙にメモしたけど、やっぱり質感がよいなぁと思った。

周りの方と、少しお話ししたけれど、占い師、エンジニア、ファッションデザイナー、保育園の調理師などなど、聞きに来ている方の多様性にも感動した。みなそれぞれが、素朴に静かに考えてる方だった。松葉舎という場の豊かさを感じた。たまたまとなりにいたファッションデザイナーの方とは、はじめてとは思えないほど、深いところで話ができたように感じた。


会場となった「ここのがっこう」の卒業生で、自分でブランドを立ち上げて活動されているとのこと。比べられるものではないけれど、自分も「音語り」という会を続けているので、なんだか勇気をもらった。

知識に圧倒されたり、権威に屈することもなく、もちろん上下関係もなく、立場も学歴もなく、ただそこで、朴訥と考え息づき心をかすかにふれあう、存在を共にするというのが、本当はこの世に生きているということなのだろうなと、感じることができた。ありそうでない貴重なあたたかな場だった。木漏れ日のようだった。

文化は土を耕すことだと感じているが、松葉舎は、葉が落ちて、枯葉になってふかふかの土になるのを見守る眼差しがありハッとした。

人に敢えて言うほどでもない。でもだれかとこのことを話してみたい。でも言ったら変だと思われるかもしれない。そういうものごとが、自分の心に時折さざなみのように起こる。そのさざなみを臆することなく隠さずに感じ続けられるような場だった。昔の自分はここにいたら救われただろうな。孤独だった。(そういえば、30歳のころ、いろんな話ができる仲間に出会った。あれは、なにかの節目だった。地面を掘って掘って掘っていくうちに、地下水脈に出会った感じだった)

「運命は完璧に決まっていて、同時に自由である」

甲野善紀先生のこの言葉が何度も取り上げられて、何度も巡った。

ChatGPTが、壮大な穴埋め問題をしているという話も面白かった。そうなると、そのうち言葉は、淘汰されてゆくのだろうか?これは人間が奏でる音楽とも容易に比較できた。

人間らしさとは?
人工知能らしさとは?

詩は、人間らしい行為なのかもしれない

りんごは、ティラノザウルス!


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: