火花

久しぶりに大喧嘩をした。きっかけは、些細なことだったけれど、お互いの日々の不満が爆発して、激しい口論に。私は、色々悲しくて悔しくて、怒りのぶつけようがなくて、ちょうど前から捨てなよと言われていた小皿を今だ!とばかりに数枚割った(!)バリンバリンバリン!割れて粉々になった皿はわたしの心のようだった。我ながら激しい、、、。火がつくととめられないのは、蠍座ゆえか。
頭の中では、ギリシャのレストランでは美味しいという挨拶で、食べたらお皿を割るらしいよねとまことしやかな話を冷静に思い出していた。

一緒に過ごすようになってから何回、もうあかん!と思ったことだろう。あのときも、あのときも。いろんなときがあったなぁ。

本音をぶつけ合うこと自体は間違ってないはずだ。ものすごく疲れるけれど、いいことではあるし、必要なことだ。ぶつけ合って、泣いて、心がシーーーンとして、それから、静かにわきおこってくるのは、今回もやっぱり「一緒にいたいかもしれない」という、気持ちと涙だった。

こどもたちと夫のいない自分を想像してみた。想像できなかった。それほど、当たり前にわたしのすぐ近くにこれほど愛おしい存在がいるのだと気づかされた。こどもたちなんて、ついこの前までこの世にいなかった存在なのに。その存在の力に驚く。

喧嘩を感じとっていた二人のこどもたちも、やはり不穏だった。夕食の準備をしていると、上の子がすりよってきた。メソメソしてると、わたしの涙をふいて、遊ぼーよーと話しかけてくる。遊ぼーねぇ。。子どもたちの前で、パパにきちんと謝ろうと心に決めた。喧嘩は見せたくないけれど、謝罪は見せてもよい、見せたほうが良い気がした。夜、お風呂から上がって、子どもたちに洋服を着せる間、心の中で、言うことばを何度も練習した。言おうとしたら、また涙が出てきた。なんでだろう。「ひどいこと言ってごめんなさい。いつもありがとう。」こんな簡単で数文字のことなのに、胸につかえて、苦しくなった。自分の心の奥の方の「ほんとう」に触れるからだろうか。言わないとだめだ。言うんだ。

「今日はひどいこと言ってごめんね。」

チラッと私をみるパパ。

「ごめんなさい。悪かったよ。ゆるしてね。私は、やっぱりみんなと一緒にいたいよ」と、言い終わるか終わらないかで、また涙がつつつと流れ落ちた。

「みんなのこと、すごく大切に思っているから」

と付け加えた。本当にそうなのだ。心の「ほんとう」が伝えられてよかった。恥ずかしそうに、手で私のひざをなでて、「ウン」と小さく答えた。

こどもたちは、無邪気に膝の上で遊んでいた。「ママ、パパにごめんなさいできたよ」と報告した。「へぇ、そーなの?」と冷やかすように笑った。

ごめんなさい
ありがとう

簡単なのにむずかしかった。
言えてよかったな。

今日の言葉* 

「上手は下手の手本、

下手は上手の手本なりと

工夫すべし」

世阿弥


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