空っぽ

夏バテがあまり回復せず、午前も夕方も夫に散歩に連れ出してもらってしまった…夫よ、仕事忙しいのに、す、すまない……🙏 赤子は嬉しそうにパパに抱っこされて、バッバーイ❗️と手を振る。山積みになった洗濯物を無言で畳む。久しぶりの静かな時間。頭のなかでは、あれやらなきゃこれやらなきゃと、次から次へと浮かんでは消えていく。頭がどうもうるさい。それでも手を動かし続けたら、少し頭が静かになってきた。お皿洗いも、洗濯物を畳むのも、混沌から秩序が生まれ、いつか必ず終わりがくる。

手を動かすというのはよいものだ。 今日のレッスンでも、どのように、脳味噌と指先を連結させるかということを話した。脳味噌は社長。指は従業員。はじめのうちは、社長が仕事を徹底して教え込む。ヴァイオリンの場合は、左指4本を使う。従業員は4人だ。一人一人の持ち回りが違う。それぞれが独立して、別の仕事をしなければならない。それでいて、従業員同士も協力し合うことがとても大切だ。はじめは、皆仕事がわからない。社長がとにかく的確に命令し、伝達する。それを受け取った社員らは、任務を遂行する。電源にコンセントを入れると充電されるように、脳みそから指先まで、プラグが切れないこともとても大切だ。指先まで電気が通り、指先が、脳みそになっていくことが大切なのだ。蕎打ちでも、器作りでも、刀作りでも、あらゆる分野の熟達した職人たちの動きは、なめらかで、そして、彼らの頭がやっているというより、その身体が、指先が勝手にやっている。指先にのっとられている感じだ。脳味噌は寧ろ空っぽになっているかもしれない。演奏家もそうだ。指先が仕事を覚え、脳味噌が空っぽになり、脳味噌がリラックスできるからこそ、そこに、天からインスピレーションが舞い降りる。従業員の仕事を社長がいつまでも指示したりコントロールしようとしたら、従業員は育たないし、会社はより大きなビジョンを失ってしまう。何よりはじめが肝心だ。だからこそ、指の練習は、念入りに脳味噌が指先に命令することを意識し、指に仕事を叩き込み、考えなくても弾けるようになることが、大切なのだ。

……そんなことを話したなと思いながら、夕暮れどきに買い物に出る。ああ、夕陽が沈んでゆく。太陽を追いかける。光を浴びられるスポットをわずかながら見つけた。わたしは自転車を止めて、夕陽浴をした。カーディガンも脱いで、ノースリーブになり、ジワジワと光を身体に感じさせる。ゆっくりゆっくり太陽が沈んでゆく。公園ではたくさんの子供たちの遊ぶ声が響き、車が通り過ぎてゆく。それをすべて同時に同等にボーっと眺める。圧倒的に受け身になる感覚。自分と世界が、ミルクティーに入れた砂糖のようにとけこんでいく感覚。頭がゆるんでいく。何分くらい経っただろう。頭が、ずいぶんスッキリした。身体も、すこしスッキリした。瞑想は、座らなくてもできるのだったと、思い出した。空っぽにしたところに、よいものが滑り込んでくる。もっと、空っぽ時間をつくろう。

(……とこのような変な日記、無限に書ける😂)

今日の音楽*

今日の言葉*

ある町を知るのに手頃な一つの方法は、人々がそこでいかに働き、いかに愛し、いかに死ぬかを調べてみることである。

カミュ「ペスト」


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