観◇手塚雄二展

行きたかった藝大美術館に行けた🙌

高級車に乗ってご機嫌な赤ちゃん。こんな立派なベビーカーを貸し出しているなんてすごいなぁ。「お客様が初めてです」とのこと。天音ちゃん一番乗りだ!とても親切にしていただき感動。

チェリストの春菜さんのお父様(!)手塚雄二先生の作品、圧倒された!素晴らしかった、、、(しばらく藝術に触れていなかったからか語彙が、、、、😭)

途中から赤ん坊が泣きそうで、駆け足ではあったけど、久しぶりに藝術にふれて心が広がった。世の中に藝術は必要だ。。。😭

(見たことのあるこのポスターも!)

(デニーズで腹ごしらえ。こども椅子よかった)

赤ん坊は、ここ何週間か、人生初の風邪で、鼻水グズグズやって、吸引機の阿鼻叫喚の巻ですか、おかげさまで、元気に毎日過ごしております。お風呂のあと、一本釣りしたイキのいいマグロに服を着せるようで、毎晩てんやわんや…。ママの方がゲッソリ気味🙀

だからこそ、藝術は素晴らしいと感じた涙。。

心が潤った。。。

また赤ちゃんも来れる音語りも

年内にやりたいなと思いました🙂

この老木を眺めながら、赤ん坊にミルクをあげるようになるなんて、、学生時代の自分に伝えてあげたい笑。

帰りは上野公園をお散歩しました。

途中から、眠い眠いと不機嫌で泣きそのうち寝ました。赤ちゃんのお出かけは荷物が多くてたいへんだけど、なるべく外に連れ出してあげないとねぇ。自然のなかに行きたいなぁ。

今日の音楽*

今日の言葉*

“大人になること
人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。といってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな
普通の暮しをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同をしていました。思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。ですからいくら私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころに私はもどりたくはないのです。ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。
失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。少年老いやすく学成りがたしとか。老いても学は成らないのかもしれません。でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の中の生き甲斐なのです。若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になった
せいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。”

いわさきちひろ


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