読み手

「心ある音楽家は”音楽”と接触するのです。音楽家が聴衆との接触を要求するのであれば、その音楽家は自惚れており、作品を利用してしまっているのです。作品に仕え、自分自身を聴衆に利用させ、それにより献身するのでなくてはなりません」

グスタフ・レオンハルト

村上さん、同じこと言ってたな

自分を表現するために
音楽を利用するのではなく
音楽を表現するために
最大限自分を活用することだと。

小さい子に絵本を読むのと似ていると。
たとえば桃太郎を読み聞かせて、
誰が読んでいるか忘れるくらいに
こどもがその世界に没頭できたら
素晴らしい。


我々 演奏家は、
同じようにその読み手であると。
究極に透明な存在になり
一音一音にどれだけ
いまの自分のすべてを
捧げることができるかだと。

「キンチョーします
コワイです」と話す生徒に
この話を繰り返しゆっくりしてきた。

目から鱗!と頭の転換が出来る子もいれば、
でもそうは言ってもやっぱり
キンチョーしますという子もいる。
まあ、そりゃそうだ。
人間だもの。みつを。

なぜキンチョーするのかの
紐を手繰り寄せてゆくと、
「人にどう思われるかこわい」
という恐れが、大抵見つかる。
自分を守ろうとする。

チェロの原田禎夫先生はいつも
「もっと崖っぷちで弾け。
そんな安全地帯で弾いていても
何も伝わらない」と話されていた。
室内楽のレッスンで
遠くに座っていた先生が
すぐ近くにすっ飛んできて、
そんなんじゃダメだ!と、
顔を真っ赤にして私たちに
伝えようとしてくださった
あのエネルギーや愛情は
忘れられない。

自分を守ろうとしないこと。
守ろうとしている自分をすこし距離を置いて見ること 。
そもそも守る必要なんてないこと。
小さな自分ではなく大きな音楽の力にゆだねること。
小さな自分も信じること。
少しずつ少しずつ。

キンチョーは、悪くないし
むしろ、本番でのキンチョーは、
必要なエネルギー。
ただそのときに、身体に
キンチョーがいかないで、
音にテンションが転換されるように、
どんなときも身体がのびのびと
動くように、日々の鍛錬が必要になるもんだ。
結局のところ、底上げしかできない。
底上げが日々の練習。
偶然うまくいくこともあるけれど
どうしたってうまくいくという
必然を増やせるかどうか。

少しずつ少しずつ。

今日の音楽*

今日の言葉*
「心ある音楽家は”音楽”と接触するのです。音楽家が聴衆との接触を要求するのであれば、その音楽家は自惚れており、作品を利用してしまっているのです。作品に仕え、自分自身を聴衆に利用させ、それにより献身するのでなくてはなりません」

グスタフ・レオンハルト


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