陣痛の記憶

去年の今ごろは、陣痛だったんだよなぁと思って、アプリを開いてみた。陣痛きたかもというアプリがこの世の中にはあるのだ。今思うとこれは使わない方がよかったのかもしれない。使えば使うほど焦る気がした。けれどこのおかげで、曖昧な記憶が少しずつ鮮明になる。確か満月が近かったからか、病院は満床だった。部屋が空いておらず、運悪く水中出産の部屋に回された。ソファが、水着仕様で竹で編まれているような硬いものだった。私も夫も二人とも落ち着かなかった。助産師さんの対応や病院の設備や状況に、夫は、少しずつ不機嫌になっていった。いつも優しく笑顔で支えてくれていたが、陣痛タクシーに乗ったときから、ピリピリしているのが伝わってきた。「もっとやさしくして。手を握ってほしい」その一言が言えなかった。

今思い返すと、私と同じように彼も緊張と疲れが出てきていたのかもしれない。予定日から一週間が過ぎ、いつ生まれるのか?という期待と不安の入り混じった感情がジワジワとわたしの身体から滲んでいた。近くでいて肌で感じていたに違いない。彼の優しさは、彼の弱さや繊細さに支えられているものでもあるのを結婚してからずっと感じていた。そして、その弱さは私の弱さでもあった。人と人は、強さではなく、弱さで結ばれている。私たちにとって、命が生まれる場所は、私たちの正念場でもあった。弱さに立ち向かわねばならなかった。弱さを強さに変えなければならなかった。赤ちゃんが産まれるのだ。入院してから産まれるまでの数日のことは、私にはとてもかなしくショックなことで、思い出す度にキリキリと胸が痛んだ。そのとき封印していた感情が、のちのち何度か爆発して大喧嘩になった。親以外の他人に対して、あれほどまで感情を爆発させたのは、初めてに近かったかもしれない。小さい頃から、怒りの感情は即座にかなしみに自動転換される気質だった。たった一言が言えない。自分でも気づかないうちに感情もことばも飲み込んできたのだと、この歳になってやっとわかった。「何でそんなこと言うの?」「ひどい!」「もっとやさしくしてほしい」「手を握ってほしい」伝えられなかったことばが、過去形で怒りと涙もともに溢れ出た。「何であんなこと言ったの?」「ひどかった!」「優しくしてほしかった」「手を握ってほしかった!」形を変えたことばたちは、不本意ながらも、成仏していくのがわかった。そういうことばを口にするのは、いつも怖かった。おそらく、ただ、嫌われるのが怖かった。大切だからこそ分かりあいたいのに、大切だからこそ、伝えられなかった。それはわたしの弱さだった。彼の弱さを鏡にして、わたしの弱さが映るのがよくわかった。大切な人だからこそ、ことばにしてはならないこともあるし、しなければならないことも沢山ある。そのようにして、少しずつ少しずつお互いのこころの根っこを太くし、こころの上澄み液を照らしていく。

なかなか子宮口が開かなかった私はとなりの建物に移動させられた。そこは心地よく気持ちの良い場所だった。「ご主人は泊れませんので、お帰りください」と言われ、わたしはひとりになった。本当は一緒にずっといてほしかった。「一緒にいてほしい」そのひとことがまたしても言えなかったら。長丁場になるかも知れないから、一度家に帰って休んでもらったほうが良いのかも知れないとも思い、笑顔で別れた。ひとりで耐える陣痛は思いの外、孤独だった。けれど、赤ちゃんが一番近くにいた。もうすぐ会えるね、がんばろうねとお腹をさすった。寝ているのも辛かったから、夜な夜な廊下をゾンビのように歩き回った。分娩室周辺では、助産師さんたちが慌ただしく走り回っていた。誰かに話しかけたかったけれど、とても声をかけられるような雰囲気ではなかった。もうすぐ生まれるのか?という部屋からは、この世のものとは思えないような叫び声が聞こえてきて、恐れ慄きながら、わたしは、スリッパの音をパタパタ言わせながら、夜の病院を能楽師のように黙々と静々と歩いた。少し歩くと痛みがきた。その度にお守りのようにアプリのボタンを押した。孤独だったわたしにはそれが少しの慰みになった。何かにすがりたかった。誰かと話したかった。二つ目の夜が明けて、子宮口は、まだ2センチだった。まもなく、「帝王切開しましょう」と告げられた。いろいろな感情があふれて子供のように病室でひとりで大泣きした。夫が現れたときは、私は泣きじゃくった顔だった。「もっと早くきてほしかった」またしてもそれをきちんと伝えられなかった。あのときは混乱していたけれど、そういえば促進剤も打ってもらえなかったな、もうすこし頑張りたかったな、「もうすこし頑張りたい」と医師に伝えればよかったな。後悔が残った。

結局36時間後に、私の小さい体には些か大きくなりすぎた元気な立派な赤ちゃんが産声をあげた。手術着に着替えた夫も、ずっと手を握ってくれていた。それまでが辛かったから、誕生の瞬間を共に味わえたのは何にもかえがたい喜びだった。赤ちゃんの産声とともに涙があふれでた。私たちは二人から三人になったのだ。「さちこさん、ほら見て、立派な赤ちゃんだよ」そう声をふるわせて伝えてくれた夫の声が今でも耳に残る。ギュツと握った手の温もりを思い出す。明日ははじめての誕生日。私たち三人にとってもはじめての一年を終える。ありがとうありがとうありがとう。

今日の言葉*

春宵感懐(しゅんしょうたんかい)

雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
なまあつたかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない……
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどのことして、
一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。

中原中也


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