音語り(ムラカミスペシャル!)終わりました!

村上さんをお迎えしての音語りvol.5。大変すぎたけど、楽しすぎた5日間❣️ 公開リハーサル、レッスンも、常に素晴らしいエネルギーが渦巻いていました。

ヴィオラ四重奏でシャコンヌ
加藤大輔さん、アルペジオーネソナタ
ブルッフのロマンス

感染急拡大で、神経擦り減ったけれど、聞きにいらした方々が、目を輝かせて、勉強になった!楽しかった!と扉を出て行く姿をみて、やはりやってよかったと思いました。ご参加下さった皆さま本当にありがとうございました❣️どうぞ引き続きみなさまご無事でありますように。

コンサート最後の協奏曲

いつも意思決定を待つだけだったけれど、初めてこの状況下で主催になり、冷静な判断力、決断力を問われました。コンサートひとつ開催するのに、主催者はどれだけ苦悶し、努力しているかも、身をもって感じた。何でも自分事にならないと、体感としてはわからないものです。。。いつもありがとうございます😭

朝、会場入りした時、すでにワクワクしていた

一歳過ぎたので、一時保育が利用できる!となり、リハーサル初日から、いきなり9:00-17:00あずけて、さすがにこれはヤバイかな…という母の心配をよそに、一度も泣かず、ニコニコ保育園生活を謳歌した下の子、ママなしでも頑張ってお利口にしていた上の子にも、ブラボーの嵐…👏こどもたちをみてくれた夫とシッターさんにも感謝しかない😭

最近深夜に起きる…寝ておくれ、、、

この大きさの企画を、子育てしながら、事務仕事もほぼ一人で回しながら、演奏するのはさすがに限界を感じた💦この反省を活かしつつ、次回からは色々もう少し改善しよう。

以下は、プログラムに寄せた文章です。

“コロナ禍で大変ななか、ご来場いただきありがとうございます。村上さんをお招きする音語りは今回で5回目となります。初回は小さなスタジオで実験的に行いました。そのリハーサルの素晴らしいことといったら(!)本番はもちろんのこと、このリハーサルこそぜひ色々な方に聴いていただかねば!という強い思いが湧き起こりました。また、これはぜひ若い演奏家と共に体験し分かち合いたいと感じ、当時私が教員をしていた上野学園大学の学生たちに声をかけました。「実は、もうヴィオラをやめようと思っていて…」と話していた学生が、音語りで会う度に、年々、蛹から蝶になるように、メキメキと上達して、今ではプロのオーケストラで演奏するようになったり、その成長が眩しく嬉しいこの数年です。コロナ禍において、息苦しく、生き難い世の中になりましたが、だからこそ、人の心がどれだけ音楽や文化を欲しているかということを感じ、文化の灯火を絶やさないために、私に何ができるだろうと考える日々でした。元々、裾野を広げることをしたいと思い、音語りを始めましたが、公開リハーサルでは、プロアマ問わず、職種問わず、様々な方々が、熱心に聴いてくださり、目を輝かせて、その音楽の魔法を味わって下さった様子を大変嬉しく思いました。それと共に、音楽は、誰にとっても等しくいつもすぐそばにいてくれるという実感を持ちました。楽器をはじめてみようかな?コンサート行ってみようかな?と思う方、音楽を愛する人が一人でも多くなったらいいなぁと感じています。村上さんがリハーサルで「すべての音楽は過程である」ということを仰いました。「音と音とのつながりは、男と女のそれのように豊かな掟に従うのであって、それは美学を越えた生命的な事件なのでさる。このイベント(出来事)は完結しない」という武満徹さんの言葉と同じく、今日のコンサートが、みなさまの生活や人生の中のふとした音楽の灯火となり、何か新しい扉を開くきっかけになることができたら幸いです。この企画を実現するために協力して下さったすべての皆様、保育園の先生方、シッターさん、家族に心から感謝いたします。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします!”

お祭り感

達成感
受付のみなさまと連帯感

秋山 妙子さんが、素敵な感想文を書いてくださいました!

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「摩擦音の美しさ」

本郷幸子さんが主催している「音語り」へ行ってきました。
幸子あさんに敬意を表して、38ミリのコテで髪を巻いたわ。(レア髪型)

水の中にいると色のついた水の筋がゆっくりとやってきて、私のまわりで謳う。幸子さんのヴァイオリンはそういう音がする。子供を二人産んで、また音が変わったように感じる。よい憂いが重なったというか、付き合いが長くなるとこうした経年の感想も持てる。

その幸子さんが絶賛しているヴィオラ奏者の村上さんは、ケルン放送響のヴィオラ主席から、N響の奏者をしている。

村上さんの音は、まっすぐ何かを吸い上げて、自在な圧力で噴出したり、柔らかな霧をまいたりするような特殊な音だ。音は深いところから汲まれ、高域まで届く強さがあるのに、その本体はどうしても見えないような存在感。

一人ひとりの楽器の使い方を見ていると、皆体の使い方が違う。呼吸の入れ方も違う。
村上さんは大胸筋を使わず、肋骨の箱に音を共鳴させるように固めたまま息を圧縮し、そのエネルギーを弓に送る。

躯体はふいごのような緊張感で、四肢はゆるいまま自由だ。楽器を覗き込まないというか、弓を持つ手はいつでも軽くて、大胸筋を締めないのでどんな楽曲を弾いていても腕全体に余裕がある。

村上さんと幸子さんの似ているところは、奏者の存在(いま私が)(わたし)(私)を前に出さないところで、作曲者の魂を探りながら、今捨てられるものをすべて捨てながら、この瞬間オーディエンスの魂にどう届いて震えているのか、演奏中はそれだけだ。だから音の質感が記憶に強く残る。

大量の触覚を出しながら、それが一本も「私を見て」に向かずに広がる様子は、森の苔とか菌類みたいで、音楽の世界に絶対になくてはならない魂なのではないかと思う。

毎度毎度、胸打たれ、何日かぼんやりして、そして忘れてしまう。
次に聴くとき、前よりも早く思い出すことができる。

シューベルトもバッハも良かったけど、村上さんと南篠聖子さんのバルトークが良かった。二人は地面に立った大きな鳥のように弾いていた。

けもの臭というか、薄暗いなか何かが目覚めて目的もなく動き出すような、そんな音楽でした。土。日本の土じゃない土。私が舞踏家だったら、立ち上がって踊っていたかも。舞踏家じゃなくて幸いでした。

音楽はいいな。
来年も行きます。

というわけで、行きたい人がいたらご一緒しましょう!

写真はコロナ前の公開レッスン(水色のスカートがわたし)と、魔女(タロット マホ)に挟まれた幸子さんです。

皆さんの好きな奏者のこと、教えてね!

魔女組


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