顔に見えるシリーズ ◆ふとんカバー編

1.今日の晩ご飯美味しかったなぁと感慨にふける老犬(口の周りにまだご馳走がついている。飼い主に編んでもらっているなぞの髪型は、割と気に入っている。)

2.今日の休み時間のドッジボールで執拗に攻撃してきた小林くんの五目焼きそばのうずらの卵こっそり抜いてやるんだから…ふふふと、思いついた給食当番担当の小学生の女の子。

こどものとき、天井のシミをずっとじっと見ていると、ウネウネと変化した。動いた。そこから壮大な妄想をするのがわたしの癖だった。そういえばそういうの最近ないなと思ったら、天井見えない。目が悪くなったんだ。笑。

大人になると頭がかたくなるから、
このゲームはたまにやろうと思う。

見え方というのは面白い。

毎日歩いている道なのに、こんな所にこんな看板あったんだ???というものを見つけてビックリすることがたまにある。人間って、見ているようで見えていないんだなぁと思う。同じ音楽を演奏しても、何度も見た楽譜を眺めていても、ふと全くちがうように感じたり、見えたりする。毎回、その作品と初めて出会うかのように音にすることはとても大切だし、実際そうなのだと思う。圧倒的に開かれていて、自由。今に埋没する。今が生まれる。ここらへんが、演奏の楽しみであり醍醐味。つまりは、私たちは毎日毎瞬生きていて、変化しているということだ。

今日の音楽*

今日の言葉*

精神を、意見や、あれこれの他人に対する見方、印象、あるいは書物、観念といったもので充満させておいてよいものだろうか。なぜ精神を空しくしておかないのだろうか。精神があっけらかんとしていてはじめて、はっきりとものが見えるようになるのである。

クリシュナムルティ


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