風邪が長引いたけれど、3日間くらいスルメのように寝てやっと治りました。今日は、かなっくホールにて本番。大学時代からの長い付き合いの佐原敦子さん。ドイツ語の授業では、ふと眠ってしまった隙に、いつも私の教科書に落書きをしてきていた笑……。起きた時にホンゴウサンと当てられて、「センセイ、次なら答えられます」と言ったのはよいおもひで…。
あつこ姫のヴィヴァルディのソロもかっこよかった〜素晴らしかった〜✨ 「四季」はいつか音語りでやりたいな。新しい手作りドレスをいただいた。はじめての形、使いやすい!大切に使わせていただきます。ありがとうございました。
今日の言葉*
“大人になること 人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの 美しかったころのことを何にもましていい時であったように 語ります。 けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとは どうしても思えないのです。 といってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたと いうわけではありません。 戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな 普通の暮しをしていました。 好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツを やったりしてよく遊んでいました。 けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、 なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても 気付かず、なにごとにも付和雷同をしていました。 思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。
ですからいくら私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、 リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、 そんなころに私はもどりたくはないのです。 ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどって しまったとしたら、これはまさに自殺ものです。
もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっていると いっているのではありません。だけどあのころよりはましになって いると思っています。 そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も 地味な苦労をしたのです。 失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものが わかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。
少年老いやすく学成りがたしとか。 老いても学は成らないのかもしれません。
でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、 不思議なことだけれどこの世の中の生き甲斐なのです。 若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように 心をよぎっていくことがありました。 親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えて ゆるせなかったこともありました。
いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た 欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、 半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。
これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になった せいだと思うのです。 大人というものはどんなに苦労が多くても、 自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。
いわさきちひろ”