よだくんが?亡くなった???
え???
理解ができず、脳みそがフリーズした。あんなに元気でいつも楽しそうにしていた人が?ちょっと待って。冗談でしょう。よだくんだし。そうだそうだよだくんだしね、と自分を言い聞かせた。そこから数日は、心も頭もぐちゃぐちゃだった。よだくんは、どんな現場に行っても、大抵、当たり前のようにそこにいる人で、私の中では、ファゴットといえば、よだくんだった。
ファゴットという楽器は、オーボエやフルートのような高音楽器と違って、華やかなキャラクターではないが、低音域でアンサンブルを支えたかと思うと、テノールのように歌い上げたり、変幻自在にオーケストラの中を自由に動き回る。初めてよだくんの音色を聞いたのはいつでどこだったのだろう。おそらく、藝大フィルか、横浜シンフォニエッタだ。なんの曲だったかは忘れてしまった。とにかく、耳が、その音色に、その音の動きに、自然と吸い寄せられた。音が躍動していた。ピチピチと生命力に満ちていて、聞いているとワクワクした。この自由さはなんだろう(!)リハーサル中だから、後ろにいる管楽器を振り返ることはできない。でも、私は、こんな音を出せるなんて、誰なんだろう??どういう人なんだろう??と気になって仕方がなかった。静かに一人で感動していた。
リハーサルの合間、何気なくそちらを見た。そこにいるのが、よだくんだった。それから何回同じ現場にいたのだろう。数えきれない。いつも、どんな時も、楽しそうに吹いていた。特に、横浜シンフォニエッタでは、何でもし放題で(笑)、曲の中で、ふと木管楽器のアンサンブルになると、みんなで音でふざけ合ったり戯れあったりしているのがよくわかった。そこの部分が終わると、みんな床をスリスリしたり(オケ内での拍手の役割。笑)、クスクス下を向いて笑っているのを目撃した。大の大人が、子どもみたいに笑顔で音で遊んでいて、私はいつも、何だかその光景が羨ましかった。アンサンブルの中で、オーケストラの中で、舞台の上で、舞台裏で、よだくんは、あまりにも当たり前にそこにいつもいて、いつも冗談を言っていた。ムードメーカーで、彼の周りにはいつも笑顔と笑いがあって、愉快で、最高の人だった。素晴らしい演奏家であり、愛すべきキャラクターだった。魅力的な人だった。なくてはならない人だった。
おじいちゃん、おばあちゃんになっても、みんなで音楽ができるんだと、信じていたし、勝手に思い込んでいた。それは、簡単ではないのだ、もうよだくんはいないんだ、と思うと、涙が溢れてきた。悔しかった。あんなに楽しい人をなんで神様は、連れ去ってしまったの!まだ一緒に音楽で遊びたかった。もっともっとたくさんのことを共有して、みんなで一緒に年をとりたかった。ヨボヨボになって、カスカスの音になっても、音楽を愛でて、生きていることを、共に楽しめると思っていた。悔しい。悔しいよ。冗談だと言ってほしい。「ビックリしましたぁ?」と、ひょこひょこ出てきてほしい。いつもの調子で。
死の知らせを受けてから数日後、千葉交響楽団でコンサートがあった。チャイコフスキーの弦楽セレナーデ。第三楽章。静かに、心の奥に入り込んでくるような優しいメロディー。魂の叫びのような、鋭い痛みのようなところもある。弾きながらずっと泣かずにはいられなかった。よだくんをこの世から奪った神さまを恨めしく思った。悲しみに、少しの怒りが混ざっていた。「よだくんのバカ。」周りの友人もちょっとみんな怒っていた。「よだのくせに」「なんで勝手にいなくなってんのよ。」「おい、冗談やめろよ。」それぞれが、ちょっと乱暴にツッコミとクレームを入れていた。そうみんなが言えるのもよだくんだったからだし、その怒りは、よだくんが愛されている証だった。みんなよだくんのことが大好きだったのだ。チェロの海老沢くんに、「三楽章、よだくんのこと思い出しちゃってさ」と呟いたら、「俺もだよ。よだくんのために弾こうな」と約束した。きっと今、いろんな舞台で、いろんな人がよだくんのことを思い出して、演奏しているのだろうなと感じた。私たちには、音楽あってよかったな。
告別式の知らせがきた。知らせが来ると、ジワジワと現実味が増してきた。信じられないけれど、どうやら事実のようだ。よだくんは、亡くなったのだ。告別式に行けない人は、事前に面会できるらしい。一緒に行く?と何人かの友人が連絡をくれた。予約をして複数名で会いに行く。面会では、まとまった時間が取れる。本当は行きたかった。でも、告別式に参列できない方々の貴重な機会を奪ってしまうのはよくないなと思い、遠慮した。会ってきた友人たちから続々と知らせが来る。「血色もよくて、穏やかなお顔をしていたよ。」「ハリボーとたくさんのお花に囲まれて、まるで昼寝をしているみたいだったよ。」そうか、安らかなお顔をしているんだなと思うと、よかった、、と心が少し落ち着いた。
告別式の日。私は思ったより、動揺していた。数ヶ月前に、友人の告別式に出たばかりで、心身ともに、かなり消耗した。誰かの死を目前にして認めることが、自分の中で、まるで何かのアレルギーのように、また拒否反応を起こすのではないかと恐れていた。もう誰かを失うのは辛すぎる出来事だった。動揺していて、電車を降りそびれた。電車が止まった。黒いストッキングをコンビニで探した。そんなこんなで、30分前に着く予定が、5分前になってしまった。黒い服に身を包み、坂道を上る。前の方にも、参列者が歩いている。もうすぐかな。着いてみたら、驚きの光景が広がっていた。人人人・・・・大行列。何だこれは。最後尾はこちらになりますと、係の人に案内された。はぁ・・・と私は半ば呆然と立ち尽くした。一体何人いるんだろう。どこが始まりかも分からないから、入り口を確認してきた。奥にも列が蛇のように繋がっていて、想像より遥かに長かった。ナナコちゃんが、「さっちゃん」と声をかけてくれた。他にも、見たことのある演奏家が沢山きていた。高校生の姿も何人も見られた。立ち尽くしながら、少し笑いが込み上げてきてしまった。お葬式なのに。半笑いになった。え。ちょっとちょっと・・・待って、よだくん。芸能人ですか。これ、時間内に終わるのですか。会えるのですか。最後まで、伝説だね・・・。あれだけ会うことを恐れてきたのに、想定外の状況で、力が抜けてしまった。さすが、よだくんだよ。よだだよ。20年ぶりに会えた友人もいた。久しぶりだね、こんなところで会うなんてと声をかけた。皆が皆、信じられない、信じたくないと感じていたと思う。
大行列が少しずつ進み、やっと順番が回ってきた。「記帳は後で良いので、ご焼香を済ませてください」と係の人も明らかに慌てたご様子だった。そりゃそうだ。ファゴットを持ったよだくんの写真。横たわる棺。寄せ書きもチラリと見えた。目の前にご両親がいらして、胸が押しつぶされそうになり、見ていられなくて、深くお辞儀をして、焼香を済ませた。あっという間だった。どんな状況でも、心を落ち着けて、お祈りするべきだった。顔も見れなかった。こんなことなら、面会に行くべきだった。遠慮しなければよかった。会いたい人には、会える時に、会っておくべきなと、痛感した。人には簡単に会えなくなるのだ。
よだくんは、愉快で楽しい人というイメージだったけれど、どんな人にも優しく、対等で、きめ細やかに、相手のことを思って言葉をかけたり、悲しそうな時に笑わせようとしたという色んなエピソードを聞いて、何度もホロリとさせられた。もっと話せばよかった。若い人にも沢山指導していたようだ。フォイヤーヴェルク管弦楽団にも長年指導しに行っていたとか!それ、私、創設メンバーなんだよ、よだくん。その話もしたかったな。
もっとゆっくりお祈りしたかった。顔を見たかった。あなたの演奏が大好きです、素晴らしい!と伝えたかった。もっと話をしたかった。いろんな後悔が自分に残って、あっという間に、別れが過ぎ去ってしまった。結果、まだ信じられない笑。遠巻きに、葬儀会場を見つめた。いろんな音楽仲間がきていた。サトキさんにも会えた。サトキさんは話すと落ち着く人だ。「いやーもうさ、今この状況でも、よだの壮大な冗談なんじゃないの?ほら、あそこから、ビックリしました?って出てきそうだよね」本当にそうだ。またどうしても会える気がする。これからも、色んなところで、爆笑エピソードが語られるのだろうし、色んな音の中に、色んな舞台の上で、色んな人の心に、よだくんは、生き続けるのだね。しんみりされるのは嫌いそうだから、もうなるべくやめよう。
よだくん、天国でもう、ファゴット吹いているかもね。
よだくん、元気でね。ありがとう。
今日の音楽*
https://tvuch.com/social/200/?fbclid=IwAR2mCiyZNyiuEVKFa8zAyBBKrQMfA9sHYGgJsx1zqScvogkRZbwP7HZRs28
横浜シンフォニエッタ。懐かしい。
よだくんの弟さんもコンサートマスターで演奏。
今日の言葉*
勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
きみにすすむ きんくつし
まんしゃく じするをもちいず
はなひらけば ふううおおし
じんせい べつりたる
(于武陵)
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
サヨナラダケガ人生ダ
井伏鱒二 訳