源氏物語✖︎ドン・ジョヴァンニ終わりました!

盛況のうちに終演!

私は急遽、後半出演させていただきまして(!)、前半の安田先生のレクチャーは客席で味わいました。何よりも、魅力的な本に囲まれた、隣町珈琲という、最高の空間、最高の場、平川先生、そして親切なスタッフのみなさま。ありがとうございました。

安田先生は、本当に謎にいろんなことに詳しすぎて、まことに不思議な方です。今回も、オペラのことも音楽のことも、なんでそんなに知ってるのデスカ?笑。中国古典に詳しすぎるのはもちろんのこと、高校教師、ジャズピアニスト、ロルファー、はたまた探偵まで(!)経験されている安田先生の話は、異分野、異世界の出来事や事象が、突然交わって、とけ合って、ドラマティックで、目から鱗で、面白すぎる!地下水を掘っていったら、地下深くで水脈がつながっていたぞ!という発見と感動がいつもある。いくつになっても勉強は楽しくて、何かを新しく知るというのは、面白い。

「面白い」というのは、目の前がパッと明るくなること、と、講座でも話されていたけれど、「周りにそういう人いますか~?」と呼びかけられ、うーんと考えてしまったけど、あそこで「やすだせんせー!」と間髪を入れずに言えなかった自分が憎い笑。

前半の源氏物語のお話、色々面白くて深くて、メモをここに書きたいのに、資料全部忘れてきてしまいました。。「光源氏は、人間と思わない方がよい」という、のっけからまさかのお告げにより、ガラリと世界が変わる笑。でも確かにそのように捉えていくと、見えてくるものが違う!

源氏物語が、「情動」であるのに対し、枕草子は、「感情」であるという話も、大変興味深かった……… それ、音楽だとなんだろう。誰だろう。

源氏物語の現代語バージョン(小説風)の、朗読と笙のコラボレーションも見事でした。SPACのゆーみんさんの声は、変幻自在。凄みがあって、流石。。。。

後半は、ドン・ジョヴァンニ。「カタログの歌」の楽譜を見ながら、音を解体してみたり、一緒に歌ってみたり、どうしてこんな味が出るのかと、みんなで探求する時間や場。これは、なかなかありそうでなくて。やはり貴重だなと感じました。そして、解説しながら改めてモーツァルトの作曲はなんと見事かと、感じ入る。一度やったことは、2度やらない。微妙に絶妙に変える。アイデアの宝庫。天才!そして、やっぱりオペラって最高。

広尾の寺子屋に初めて行った時の衝撃を思い出しながら、いろんなことにワクワクする時間でした。ありがとうございました!

古文や英文の読解があるように、読譜、読画がもっと普通にあればよいのにという話↓ ↓

ものすごく共感。これをずっと感じていたから、音語りをはじめたのだ。でも、「音楽を言葉で語るなんてナンセンス」という批判?も受けたこともある。このまま企画を続けるべきか、少し立ち止まった。仰ることはよく分かる。本来、演奏家は、「音だけで」語るべきであるし、演奏会は「音楽だけを聞きに来る場」であるだろう。言葉はいつも言いすぎるし言い足りない。でもそれとは別枠で、「音を語る場」があってもよいのではないかと、感じていた。そして、「音語り」と名付けた。何より裾野を広げたかった。音楽の巧みと秘技を知り、音楽の素晴らしさを感じる人、音楽が大好きな人がひとりでも多くなったらよいなと、考えていた。なぜなら、聞き手がいてこその弾き手であり、聞き手と弾き手が呼応して、高め合ってこそ、音楽、そして芸術文化の土壌が育っていくからだ。cultureの語源は、cultivate、耕す。文化とは、みなで、その土壌を耕していくものなのではないか。少しずつ蒔いてきた種が、小さな花となり開いてきて、地道に続けてきてよかったと感じている。

ということで!!!

8/2の音語りぜひいらしてください!!!

2023.8/2 (水) 19:00開演

としま区民センター

クルークハルト/葦の歌
ベートーヴェン/ 弦楽五重奏
モーツァルト/協奏交響曲(弦楽六重奏版)

※はじめの約30~40分はレクチャーですので途中入場もお気軽に

https://sachikohongo.wordpress.com/2023/06/12/j-4/

今日の言葉*

自分の在り方に関係する場合、「~しなければならない」「~した方がよい」ということのほとんどは「~でもよい」「~でもかまわない」場合が多いのではないか。誰かに評価されるために、誰かよりも秀でるために言葉で自分を縛らない方がよい。言葉は、己れを自由にするために用いるのがよい。

若松英輔


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