先日も、能楽師である安田登先生の寺子屋に伺った。
一昨年ほど前に知り、「こんな面白くて楽しい学びの場があったのか!」とビックリ。
それからというもの、都合がつく時はいつも通っている。
何しろ、毎回、訳が分からぬ程、お話が深くて広くて・・・
兎に角、あちらこちら、いろんな世界に飛んだり跳ねたり
寄り道したり(寄り道しすぎて戻ってくるのを皆で忘れたり)
それがダイナミックで、ひたすら楽しくて、目から鱗の連続。
まるで自由に旅させていただく感覚になり、帰るときはいつも
心地のよい風がスーッと駆け抜ける。来ている方々も、
好奇心旺盛の方が多いからか、場自体が、まさに
「打てば響く」楽器のようで、凛としている。
会のはじめに、読経と瞑想、そしてご住職のお話もある。
これがあるからこそ、場がよい具合に調整される気がする。
いつも仕事帰りにギリギリに到着するのだが、
さっきまで仕事していたとは思えないほど、
たおやかな時間がすーっとしみ込む。
今回は、3月に予定されている公演「海神別荘」のプレ講座。
東雅夫さんがゲストでいらした。
大変面白かったので、memomemo
・記憶と回想はちがう
・藝術は自然の模倣であってはならない
・あの世には喜怒楽しかない
・ヘレンケラーは文字(言葉ではない)を知った途端、かなしみと後悔をおぼえた。
・時間ないならかなしみはない
・妖怪は瞬きの間に生きている
・天籟 地籟 人籟
・無風と風
・ないがある
・葦には穴があるから音が生まれる
・なににも依存していない空虚
・世阿弥「花鏡」
・「 妙 花 面白」
・妙:悉くの闇
・花:キャッチ不能な変化の一点
・面白:目に見える
・神々の音
・舞←無 ・咲う(わらう) ・割る
初めて教え子を連れていったが、いきなりあの場にいったら
分からないことも確かに沢山あるよなぁと後から気付いた。笑。
(イナンナって何ですか(°_°)って。共通言語化していた笑)
でもきっと、全てを分かる必要はなくて、分からないまま、
ただただ感じとることってとても大切のように思う。
時間をかけて、分かればよいと思う。
あのとき、あの先生はこんなことを仰ってたのかも!とわかるときが、
来るかもしれない。はたまた来ないかもしれない。
それは種まきのようなもの。大切なのは土を耕すこと、種を蒔くこと。
いろんな種を蒔くことで、いつか、ふと芽が出る。これからが楽しみ。
culture(文化)ってcultivate(耕す)が語源だもなー。
耕された豊かな土には、豊かな実りがきっとある。
農業(agriculture)と文化も似てると思う。
農業を大切にしている国は文化も豊かな気がするし。。
そんなことないか知らん(°_°)
いずれにせよ、学ぶことって、純粋に楽しいことなんだと
思いださせてくれるのが、この寺子屋の素晴らしいところ。
これからも楽しみで仕方がない。
今日の言葉*
学びとは、はじめから自分の手許にあるものを摑みとることである、
とハイデッガーは言う。同様に、教えることもまた、
単に何かを誰かに与えることではない。
教えることは、相手がはじめから持っているものを、
自分自身で摑みとるように導くことだ。そう彼は論じるのである。
森田真生 「数学する身体」