菜の花と、珈琲豆

菜の花は、突如として現れた
スターのように、砂利と草だらけの
空き地で、悠然と風に揺れていた。
その黄色の烈しさは、春はここだよと
街にしるしをつけているようだった。

不意に「サヨナラだけが人生だ」という
ことばが想起された。もとは漢詩である。

勧 君 金 屈 卮
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離

(于武陵)

きみにすすむ きんくつし
まんしゃく じするをもちいず
はなひらけば ふううおおし
じんせい べつりたる

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

(井伏鱒二 訳)

親を亡くした友人が、周りにチラホラ
出てきた。家族とも、愛する人とも、
敬愛する師とも、親しい友人とも
どんな形であれ、いつかは、必ず
サヨナラがやってくる。それが、実感を
伴い、不意に自分に沁みてきて、なんだか
胸のあたりが軋んで、涙が出た。

それから、愛おしさが、心に残った。
ポタリポタリと落ちたあとの
珈琲のフィルターに残る珈琲豆のような
それは、まだなまあたたかく、匂った。

わたしが音楽を続けられているのは、
たまに不意に現れるこの愛おしさ
ゆえなのかもしれない。

四月は両親の誕生日がある。
はじめは父親。家族で、今日は寒いねなどと
なんてことのない会話をし、少し贅沢な
ランチを食べた。なんてことのない時間は
人生で一番おいしい時間なのかもしれない。

生きていると、どうにもならないことも
あるけれど、なるたけ、素直で正直で
ありたいものだ。誕生日おめでとう。
いつもありがとう。ケンカせず
仲良く元気でいてください。

お誕生日おめでとう。

今日の言葉*
景色を見ているでしょう。そうすると、
それが裸体になって見えるのです。
つまり景色を見ていて裸体が描けるんです。
同じようにまた裸体を見ていて、
景色が描けるのです。

熊谷守一


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