迎春

新年あけましておめでとうございます。

昨年おかげさまで無事に我が家に新しいメンバーが加わりました。今後とも家族共々よろしくお願いいたします。

世界中で未だ大変なことになっていますね。涙。まさか自分が生きている間に疫病が流行るとは。。そんななか、音楽の素晴らしさや、人のこころのつながりの大切さを改めて感じることが沢山ありました。この時代を何とか助けあって生きていきたいですね。

大変なときですが、どうかみなさまにとっておだやかで豊かな年となりますように、心からお祈り申し上げます。

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それにしてもいつの間にか自分も四十代。「四十にして惑わず」の「惑」は、「域」という字からも、本来は区切るという意味だとか。「四十にして区切らず」をどこか頭において、変化を受け入れ、しなやかに生きていきたいなと思う元旦でした。(…と思いつつ、実際は、来る日も来る日もおっぱいあげてねんねしてだっこしておんぶしてまたあしたな感じであります。)

今日の言葉*

“四十歳くらいになると、どうも人は自分を区切りがちになる。自分を限定しがちになる。自分ができるのはせいぜいこのあたりまでだ。自分の専門外のことはできない。それではいけないというのが「四十にして区切らず」だと思います。そして、さまざまなことにチャレンジする。その結果として訪れるのが「五十にして天命を知る」なのです。

孔子の時代の「天命」とは、「自分が生まれつき持った刻印」を意味しました。現代風に言えば「本当の自分」です。自分の本当の刻印は自分ではなかなかわからない。それを知るには、それまで自分が手を出さなかったことをあえてやってみることが必要だ。年齢を重ねて固まりだした自分というものを、あえて壊してみる。それが「四十にして区切らず」なのです。”

安田登「役に立つ古典」


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