1年前

赤ちゃんは無事に11か月になった。
あまねちゃん、おめでとう!
私たち、おつかれさま。
感無量なり。。。涙

公園に散歩に行くと梅の花がほころんでいた。今年の冬はあたたかい。去年はもっと寒かった。「生まれたら一緒に梅の花を見ようね」とおなかをさすりながら話しかけていた一年前を思い出してジーンとする。去年の今頃、十月十日をかけて、ちょうど10キロくらい体重が増えた。今、大体同じくらいの重さの赤ちゃんを抱っこして町を歩いていると、不思議な気持ちになる。一年後に奇しくも同じ重さを体験する。興味深い。

何もかもが初めてで、手探りで歩んできたから、あっという間だったような、そうでもないような。おそらく、その時々、必死すぎたのだろう。なんだか、もはや記憶が曖昧である。仕方がない、赤ちゃんも必死だけど、ママも、ママとして赤ちゃんなんだもの。よくがんばってきたよ。

ここ何ヶ月か、友人たちが、出産して、いま、あの赤ちゃんは何ヶ月かな?と話しながら、「それってどんな感じだったっけ…忘れちゃったね」と夫と携帯のなかの写真や動画を一緒に見てみる。モゾモゾと動く生き物がたくさん残っている。

月齢ごとに可愛さがちがう。できることが増える分、できなかったことが減る。それが嬉しいのと切ないのとで、胸の奥がキューンとする。もうあの時の赤ちゃんには会えないのだ。あぁ…もう一度会って抱きしめたい。

わぁ!楽しそうに笑った!
握りこぶしを見つめるようになったね
ひとりでたくさんお話ししているね
うつ伏せができるようになったね
首が上がってきたね
よいしょ!寝返りできた!やった!
お尻が持ち上がってきたね
ハイハイももうすぐだね

……

いろんなことがはじめてできた日の感動は、瞬く間に鮮やかにからだ中を駆け巡る。思わず泣きそうになってしまう。

生まれたその日から、「我が子」という感情が生まれるのだろうなと思っていたが、実際は真逆だった。「おめでとうございます」と胸の上に運ばれてきたあたたかな生き物を見て「えぇ、そうか、これがおなかに入っていたのか」という、半ば冷静で半ば困惑の不思議な感覚を覚えた。「これ」という代名詞を使いたくなってしまうほど、自分ごとではないような、なんとも言えない気持ちだった。あんなに痛かったのに、その痛みと、この目の前の生き物は、全く別の事象のように思えたのだ。突如として目の前に「新しい人間」が現れた!そのことに呆気に取られてしまった。その生き物はあまりにか弱く、そしてとても強かった。一番身近にいたはずなのに、遠くに感じた。生まれてからこれまで、自分の赤ちゃんを育てているというよりは、神さまからの贈り物のお世話をさせてもらっているという日々だった。神格化するつもりはないが、この存在は、私のものではなくて、みんなのたからもので、たまたま私と縁があって私の身体を通り抜けてこの世に生まれ落ちたのだと感じた。だからこそ、いろんな人に抱っこしてもらって、たくさんの人に可愛がってもらえたらと願う。

出産後の独特の気持ちは、帝王切開だったからだろうか…と思っていたが、仲の良い友人何人かにそのことをおそるおそる話したら、「わかる!」と言ってくれた。私だけではないのかと胸のつかえがおりたような心持ちがした。

おなかのなかにいるときは自分の一部だったものが、切り離されて、世界の一部になった。そんな自分も世界の一部なのだから、大きくみれば、みんなつながってはいるけれど、やはり誕生というのは、この世界に無防備に切り離されること、放り出されることに他ならないのだろう。センセーショナルな出来事だ。いやしかし、「切り離された」と感じるのは、母親だけかもしれない。赤ちゃんにとっては、自分と世界は渾然一体となってとけあっている。赤ちゃんは正に手探りでこの世界を知ろうとする。舌触り、手触りを駆使して、少しずつ少しずつ世界にさわり、世界を、そして自分を押し広げていく。口のなかに流れてくるあたたかな母乳も、自分そのものなのだろう。「わたし」と「世界」が完全にとけてしまう感覚はどんなだろう。それをもう一度味わいたいからわたしは音楽をやっているのかも知れない。その世界のあたたかさと心地よさを、本当は誰もが知っているのだろう。そのあたたかさをいつも心に感じ、思い出すことができたら、どんなに生きやすいだろう。大人になるといろいろなことを忘れてしまう。ましてや、生まれてから数年のことなどは、誰しもほぼ記憶にない。一番手がかかるときに、だれかにお世話をしてもらったことを、皆すっかり忘れているのだ。これはちょっとすごいことだ。私たちは皆忘れている。一番か弱いときに、たくさんの人に支えられてきたのだ。自分の命や存在を、忘れ去られたやさしさが今も根っこで支えてくれている。感謝の気持ちがジワジワとあふれでる。いろいろなことを気づかせてくれる赤ちゃん、ありがとう。11ヶ月、おめでとう。

今日の音楽*

今日のあまねん*

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ひもをじっくり吟味しているのヨ

今日の言葉*

“血液の入った容器を捧げる姿が「寧」です。寺山ではありませんが植物は立ったまま眠っている。花を捧げて歩むのは、眠っている生命を捧げて歩む事”


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