初高熱

6月に急に仕事モードがはじまり、背負っているのは、赤子ではなく楽器よね?持っているのは抱っこひもでなくカバンよね?と何度も確認した。。あぁ、音楽って素晴らしい。演奏できるってしあわせ。自分がどんな人間だったのかを、音楽はそっと知らせてくれる。とまっていたなにかに風が吹きこまれ、一瞬でいろんなものをつないでくれる。

バタバタした毎日を感じ取ってか、先週末、あまちゃんが人生初めての高熱!39.4度!まあいままで、とにかく健康で、風邪らしい風邪を一度くらいしか引いてこなかったので、ここらへんで一度くらい風邪は引いておかないとね!しかし!みずからも風邪を引き具合が悪い中(しかもパパもぎっくり腰!)、具合と機嫌の超絶悪いこどもの看病をするのは、想像以上の大変さであった。夜中は高熱でぶるぶる震え、ゲホゲホ咳き込む度に、「ママー抱っこー!」おかあさんというのは、携帯の充電みたいに、こどもにとっては電源なのだなと思った。ギューと抱きしめて、充電。ママのバッテリーもうすぐ切れそう笑。水分補給と着替えと抱きしめと寝かしつけ。ようし眠れた。と思ったら、下の子がオギャーおっぱいだぞー!寝ようとすると赤ちゃんが起きるというのをマーフィーの法則に入れていただきたし。

クリニックを受診すると、ふつうの風邪とのことで、ひとあんしん。2〜3日でお熱も下がり、元気に回復。まさに峠を越えた印象。こうやって、一皮むけてまた健康になってゆくのだろうなぁ。

コロナ禍で、生きていくとはどんなことと考えさせられる。人間も生きるのに必死であれば、ウィルスも生きるのに必死。抑えこむのか逃げ切るのか、闘うのか守るのか。終わりなきいたちごっこにもなりかねない。はて生きているとは何ぞや。すべての命は地続きで、人間も自然の一部であることも、人間の愚かさも賢さもつくづく感じさせられる毎日。今のこどもたちは何を感じているんだろう。こどもたちが大きくなったときに、少しでもハッピーな世界であるように、私たち大人は何ができるだろう。

風邪になる前。
体調も悪く、心の余裕もなく、なかなか寝てくれないあまちゃんを、感情的に怒ってしまった。怒るまで6秒待つといいというけど、待てなかった。あまちゃんはグッと耐えていたけど、泣いた。わたしも泣きたかった。身体も心もしんどい。早く寝てほしい。なんで寝てくれないの。そう思えば思うほどこどもにそれが伝わって負のループに。そんなにうまくいかない、私はよき母にはなれない、もういやだ、泣きたい気持ちだった。

「あまちゃん、お外見よっか。」気分を変えよう。あまちゃんを抱っこして、ガラガラっと窓を開けると、夜風が冷たく頬をなでる。「わー…暗い…」黒い瞳が、息を飲んで夜を眺める。「夜だね。」「うん。」「さっきは怒ってごめんね。ママ疲れてるんだよ。怒りたくないけど、怒っちゃったよ。悪かったね。ゆるしてねあまちゃん。ママうまくできなかったよ」ママの懺悔には返事がなかった。ヒンヤリとした空気を飲んで、「寒い。おうち入る」と呟いた。それからも、なかなか眠れなかったけれど、やっとこさ、眠ってくれた。疲れ果てた。怒ってしまった日は、なんとも言えない後味の悪さが残る。そういえば、小さいときのわたしは、目を三角にして怒るおかあさんが、とても嫌だった。おかあさんのことは好きだったけど、好きだからこそ、怒るおかあさんは嫌だった。感情をぶつけられるのが、嫌だった。それから成長した中学生くらいのわたしは、「わたしはおかあさんの感情のトイレじゃないんだ!」と思ったものだった。そして、絶対こんな風に怒るおかあさんにはなるまいぞ!と心に誓ったのだ。

はて。自分がいざ「おかあさん」になってみるとどうだろう。想像以上に難しい。こどもはコントロールが効かない。コントロールしようとすればするほど抵抗し、空回りし、疲弊する。かといって、自由にさせすぎると、野放しで制限がなくなってしまう。いろんな意味で線引きが大切だ。枠にはめるのはよくないけれど、「ここまではいいけど、ここからはダメよ」と世の中にルールがあるというのはおぼろげにも知らせる必要がある。おそらく、本当の自由は、流されてしまうことではないだろう。今の真っ只中を生きるこどもの真っ芯を見つめながら、少しずつ、線を広げて、世界で自由に遊べるようになってほしい。毎日、冒険。

昨日の反省もあって、今日は仕事を調整して、ゆっくり休んで、お迎えに向かった。自転車に乗りながら、心に余裕があることに気づく。帰りに上野公園に寄った。滑り台で遊びたいというから遊ばせた。こわいと滑らなかった滑り台も2回目は上手に滑れて、笑顔に花が咲いた。ママと2人きりで、ママが自分だけを見ているのが嬉しそうだった。ママも嬉しいよ。帰る時間になったけど帰らないという。線引きだ。なんとかうまく説得して追いかけっこで、自転車に乗り込む。満足したのか、帰宅後も、割合、ご機嫌だった。寝る前に泣いたけど、ひとしきり泣いて、「もう大丈夫」と自分で気持ちを切り替えられた。泣くのも大切だよね。保育園でたくさんの刺激があって、おうちでは充電しないとね。それには、ママが充電できていないとね。

今日はよい日だった。

今日の言葉*

植物をみていると、みんな千切れたり破れたりしながらも、お構いなく美しいし 哀しみやら、傷付いたことは、別に愛やら何やら、他の何かで埋めなくてもいいものなんだって思ったよ。 葉っぱが千切れました。あ、そうですか。はい、生きてます。 みたいな、そんな気分だったの。 みんな何かしら千切れたり欠けたりしていて、そうゆう人が出会って、先に進んで、生きていくのだなぁ。と、思うよ。”

今日の音楽*


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