81歳のピアニスト

久しぶりのヨコシン。
懐かしい面子に会えるだけで嬉しい。よだくんがいないのがやっぱり寂しい。。でも、音楽をしている限り、聞いていてくれている気がする。

アンリバルダさん。
81歳(!)の
エジプトのピアニスト。

いやー本当にすごいなー、あのエネルギー、、、元気だなあ、、、なんであんなに元気なんだろう。何を食べているのだろう笑、、、

うまいとかへたとか
そういう世界ではないのよね

とても自由で、同じフレーズでも毎回違う。リハーサルと本番はもちろん違うし、リハーサルでも毎回違う笑。テンポも揺れるし、あんな風に若い学生が弾いたら多分レッスンで叱られるけど笑、でも、音楽って何だろう?と、はたと考えたときに、それは生きていることと直結していて、毎回違って、本当は当たり前だ。ついさっきの自分と今の自分は違うのだし。

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うまい、へたって何だろう?うまく弾こう、さっきはへたくそだった、、そう思うとき、何に囚われているのだろう?きちんと弾くということは、弾けるようになることはもちろん大切だけれど、それを大切にするばかり、私たちはそれに囚われ、子どものような自由さや、天心を日頃忘れていることの方が多いなぁと気付かされた。音楽に没頭して、無心で、無私だった。弾きながら、なぜか、バルダさんが、少年だったころの映像が浮かんだ。81歳の中に、音楽の中に、ひたすらピュアに音楽と遊ぶ少年がいる気がした。

音楽の本質をとらえている。曲の構造の理解が深く、大枠がどっしりしているからこそ、歪まないし、その揺るぎない土台と柱のなかで、自由に遊べるのだとも感じた。

本当に、音楽と遊んでいたなぁ。「君たちは素晴らしい。ベルリンフィルだ。この指揮者はトスカニーニ。ぼくは全部よくない」とずっと言ってたけど笑。

情熱が迸り、
命が脈打っていた

音というか、
命そのものというか

音楽の本質って
生命そして愛なのだろうね
 

月が欠けてゆく晩で、気になりながら舞台へ向かい、休憩中に、喫煙所へ出て、赤い月を見た。不思議な晩だった。

思わず家にいる家族に「ねーねー!見てる?!」とビデオ通話したけどお風呂入るところでみな裸んぼであった笑、、

不思議や驚きや喜びを分かちたい、そのときに自然と思い出すのが家族や大切な人なんだなと思った。

撮れたと思った月は、もはや月ではなかった。思いのほか疲れて、帰宅してからおはぎを食べた。たまになのだから。よしとしよう。81歳の天心に、エネルギーに、43歳、やられて、甘いものが必要なのだ笑。

いやー本当にすごかった。81歳って、、もう少し侘び寂び感が出てくるかと思ったけれど、むしろピッチピチだった。笑。脱帽!圧巻!ブラボー!

生きてるって素晴らしい
音楽って素晴らしい
天心を忘れずにいよう

そんなことを思った

不思議な晩だった

妊婦のときに買った、おなかがいくら広がってもよいブラウス。意外に使えた。笑

今日の言葉*

学ぶとは、自分に何かできるのかを発見していく道程だが、その道を歩くには「できない」と感じる日々を過ごさねばならない。別ないい方をすれば、真に「できない」と感じることができれば、人は、時のちからに助けられて「できる」ようになっていく。「できない」とは「できる」始まりなのである。

若松英輔


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