友人たちとの夕食会で、久しぶりに銀座に行ったら、街も人もキラキラしていて、ドキドキしてしまった笑。ふだん、下町でのんびり暮らしているだけに。。ひごろ、わたしが、お野菜を片手に、これなら買えるかしら、こちらはお高いわねぇなどとお立ち止まったりしているなか、毎日こうやってキラキラした世界も動き続けているのかと思うと、不思議な気持ちになった。日本は格差社会が広がっている。それはもはや断崖絶壁のようになっていて、それぞれの世界は、交わることなく、お互いのことを知る由もなく、想像すらできないというところが、一番おそろしいことだなぁと感じる。想像力が消えたところには、共感は生まれない。思いやりもない。今後日本はどうなってゆくのだろう、と、小さな命を育てながら日夜思わずにはいられないけれど、一日一生と思って、自分にできることを少しずつやっていこう。あたたかな世の中にしたい。

10年ぶりや20年ぶりの友人たちだったけど、ほとんど変わっていなくて、ホッとしたり、懐かしかったり。しかしながら、昔話に花が咲いたあとは、最終的に、尿酸値はどう?などと健康話に落ち着くところあたりに、我らもトシをとったと感じずにはいられなかった。10年前に会ったときに、なかなか赤ちゃんができなくて、ノイローゼ気味になっているんだよ…と話していた友人。ずっと気になっていて、でも、こちらからはなかなか聞けないなぁと思っていたけど、話のなかで、「奥さんと息子がね…」となって、「わぁ!おめでとう!」と自分の事のように嬉しく声を上げてしまった。不妊治療に至るまでも辛かっただろうな。男性もプレッシャーになるだろうな。腕白すぎて大変なんだよと顔をクシャクシャにして写真を見せてくれた。奥様も可愛くて仕方がない様子が写真から伝わってきた。本当によかったねぇ。結婚して3年くらいだけど、子育てはまだしていないという友人は、へぇ、そんな感じなんだねぇと、興味深く話を聞いていた。わたしもそうだったなぁ。たまたま子どもを授かったけれど、それは「もう子供はできないのかもしれない。私は私の人生を楽しもう!」と、完全にあきらめたときの出来事だった。不思議なものだ。単なる希望ではなく、執着になっていたのだろう。それを完全に手放したときに、来てくれた。今は子どもがいる人生が当たり前になっているけれど、いない人生のこともたまに考える。それはそれで幸せだったに違いない。子どもがいてもいなくても、結婚していてもしていなくても、どんな人生も尊い。この世に生きているということは、神さまから切符を手渡されているようなもの。魂が喜ぶことをたくさんして、いろんな経験をして旅を楽しもう。

今日の音楽*

今日の言葉*

だから、今、何かが上手くいかなくて、苦しかったりもやもやしたり、自責感に苛まれている人は、安心してほしい。

無理に、元気を出す必要もない。

もやもやした人生を、ただ、快なるままに過ごすだけでいいと思う。誰にどう思われるか、他人に迷惑をかけていないか、社会的にどうかなど気にせずに、ただ、すこしずつ、一個一個の不快のスイッチを、快に切り替える作業に淡々と励めばいいと思う。

そうしているうちに、人生が自分をどこかに運んでくれる、ということがある。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: