昔の場所

久しぶりに母校に行くことがあった。あのときの私は、あの門を抜ける度に、クッと少し息を詰めるような緊張感をどこかで感じていたように思う。普通高校に通っていた私には、いざ音楽の世界に入ってみると周りの皆は、キラキラと眩しく見え、独特の空気に飲まれそうになるときもあった。入ってすぐ左の掲示板で合格発表があった。見るのがこわくてこわくて、何度もためらったっけ。一度目のときも、二度目のときも、闘いだった。ヴァイオリンという楽器を構えると反射的に何かと常に闘っていた。何と闘っていたのだろう。それはちょうど、ブラームスの交響曲第一番のような重苦しい響きを抱えて歩いているようだった。大学一年のときに、オーケストラの喜びと楽しみを知り、全てがガラリと変わった。それは全身を突き抜けるような底抜けの喜びだった。音楽が、もっともっと広い世界があるのだよと、わたしを手招きしているように思えた。それからたくさんのご縁と力に導かれ、目の前に道が続いていた。あのときの体験がなければ、楽器はやめていたかもしれない。なんで音楽を続けているかといえば、やめられないから、だ。魔薬のような力に魅せられたら、身も心も魂も離れられなくなる。それくらい強く深い力が音楽にはある。

私はあれから二十年トシをとり、あのときと同じように泳ぐ錦鯉を眺めた。うまくいかなくなったときに、ここの鯉たちをボーっと眺めていたなぁと思い出した。鯉の寿命はどれくらいなのだろう。あのときと同じ鯉なのだろうか。鯉には何が見えているのだろう。

学食のおじちゃんは、写真のなかで笑っていた。本当に天国に行ってしまったのか。でも、レジのところにはおじちゃんの気配がして、フラリと出てきそうだった。疲れた時、おじちゃんに会いに行ったら、そこに座れと、少しぶっきらぼうに言って、あたたかいレモネードを作ってくれたなぁ。美味しかったなぁ。手相もみてくれて、やたらと当たっていた。でもあれ、いま思うと私の顔色みて、いろいろ言ってたね。おじちゃん、大好きだったよ。みんなもおじちゃんのこと大好きだったね。会いたい人に会えなくなるって、かなしいね。そこにいるべき人がいないって、さびしいね。おじちゃん、ありがとうね。会いたいな。

大学内は、いろいろな消毒や、新しい決まりのなかで動いていて、昔のような自由な雰囲気はなかった。世界中で、息が詰まっている。苦しい。構内を歩きながら、「コロナ飽きたね…」と、友人とポツリとこぼれた。雨がふったら傘をささねばならないように、もうこの先ずっとマスクがスタンダードになるのだろうか。マスクなしで、町を歩きたいね、話したいね。たくさん人に会ってハグしたいね。旅したいね。

世界は変わってしまった。それでも、変わらないこともある。そして、私たちで、新しく作っていけることもきっとある。楽しいことを考えよう。昔の場所に行くと、昔の自分に会って、話せる気がした。あのときの私に、今の私はなんていうだろう。

今日の音楽*

今日の言葉*

道は一を生じ、一は二を生じ、

二は三を生じ、三は万物を生ず


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