三上先生

身体にやさしいものを食べたくて、ぐるあつに来た。野菜てんこ盛り!こんなに自分ではとても作れない。味も色も、スパイシーだったり、変化に富んでいて、楽しい。

ついこの前の夏。ここで食べていたら、フルートの三上明子先生が、ひょっこり現れて、「あら、ほんごうさん!久しぶりね〜。元気?ご一緒していいかしら」と、いつものやさしい笑顔で声をかけてくださった。「お子さんを産まれたとか?いくつになったの?」から始まり、先生が育児で大切にしてきたことや、ヨーロッパでのお話や、今いる学生たちのことなど、色々なことをお聞きした。ドイツから帰国して上野学園大学で約10年ご縁をいただいたが、かわいい学生たちとの出会いはもちろんのこと、誠実で、素晴らしい先生方との出会いが自分にとって宝ものだった。三上先生は、朗らかで、理知的で、愛と情熱のある素晴らしい方だった。一度大学で演奏を聴いてから、お人柄も含めて、私はすっかりファンになってしまった。音楽の本質をつかんで離さず、説得力があり、何とも魅力的な音色と演奏だった。一度聞くと忘れられない、また聞きたくなるような演奏だった。廊下でお会いするといつも朗らかに声をかけて下さった。お会いするだけで、気持ちがスッとするような方だった。9月の終わりに亡くなったと聞き、本当に驚いた。とても信じられなかった。あぁ、ここで、野菜モリモリのランチを食べながら、先生とお話ししたばかりなのになと、思い出したら、何だか泣けてきてしまった。人が亡くなるというのは、なんと辛く、かなしいことだろう。もう話せない、もう会えない、もう心もふれ合えないというのは、なんと切ないことだろう。今年に入ってからあまりにも亡くなる方が多く、心が追いついていない。大学時代の友人、音楽仲間、生徒さんのご主人、、そして三上先生。いろんな死を受け入れる余裕もないまま、日常が進んでゆき、取り残されている感じがする。見ないようにしているわけではないけれど、ポコポコと空いていく穴から、ヒビが入るような気がする。そこから、たまに、水が滲み出るように、涙が出る。こういう時間が本当は必要なのだと感じる。

「全ては『愛』らしいよ」と、友人がリハーサル中に、ポロっと言った。その言葉がずっと心に残っている。人が生きて死んでゆくという物語のなかで、喜んだり、怒ったり、悲しがったり、笑ったり。人と人が出会って、愛してほしい、愛したい、伝えたい、受け入れたいと願ったり。もがいたり、苦しんだり、叫んだり。確かに、すべては、愛なのかもしれない。最後に残るのは、愛なのかもしれない。

最近ことばを覚え出した坊やは、時々静かにわたしに近づいて、小声で「大好き」と私につかまってくる。しっかり者の3才のお姉ちゃんは、最近甘えたくて、寝る前にママの上に乗ってきて「大好き」と伝えてくる。「ママも大好きよ。産まれてきてくれてありがとう。ずいぶん大きくなったね、赤ちゃんだったのに」と、背中と頭をなでる。こうして、抱きしめて、大好きと伝えられるのは、なんて幸せなことなのだろう。いつまでこうして惜しげもなく愛を伝え合えるのだろう。愛おしい。

三上先生のことを思い出すと、心があたたかくなる。やさしくて愛おしい気持ちになる。もっと話したかったな。もっと演奏聴きたかったな。三上先生に出会えてよかったです。ありがとうございました。

今日の音楽*

今日の言葉*

人は、自分が救われた方法でしか、

人を救えない


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