横浜シンフォニエッタで、福島で演奏してきた。山ちゃんこと、山田和樹さんのリハーサル、毎日毎時間毎秒、すごすぎて、しあわせすぎた。目から鱗がパラパラと落ちる。全く飽きない、変な疲れが残らない。自然に笑えてきたり、心が躍ったり。帰り道は、毎晩喜びと嬉しさでいっぱいになった。ひたすら面白い。面白いとは、目の前(もしくはオモテ)がパッと明るくなるという意味で、天の岩戸から来ている説もあるとか。
安田登先生の話を思い出した。
“天照大神(あまてらすおおみかみ)を外に出すための策略を練ったのが、多くの思慮を兼ねそなえ、はかりごとを巡らせる神・思金神(おもいかねのかみ)である。念には念を重ねた準備が完了し、指示に従って体中に植物を纏った天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が奇天烈な格好で舞を舞う。この天宇受賣命の奇天烈な格好に笑う神々の「笑う」には「咲う」の字が当てられている。
「咲(さく)」とは「裂(さく)」である。花が蕾を裂いて花ひらく意味だ。この字から、「笑う」も「割る」である。”
天照大神が岩戸に籠ってしまい、世界が暗くなっていたが、奇天烈な踊りのおかげで、出てきてくれて、世界がまたパッと明るくなる(オモテが白くなる)。「あな面白し、あな楽し(ああ面白い、ああ楽しい)」と、神々が唱える。山田さんのリハーサルは、まさに「あな面白し、あな楽し」の連続だった。音楽の基本、土台、ごくシンプルなことに立ち返り、綿密にリハーサルしてゆく。音の風景がみるみるうちに変わっていく。長年演奏していると、オーケストラの暗黙の了解というのは、数知れずある。書いてないけれど、すこし長めに弾いたり、遅くしたり、速くしたり。慣習とも、癖とも言えるのかもしれない。そういうものを全て取っ払って、シンプルに音楽と向き合う。長年決まりきったメイクをしていた顔から、イヤリングもネックレスもメイクもきれいサッパリ落として、すっぴんにしてゆくような作業だった。そこから、どうしたらもっと自然になるのか、どうしたらもっと魅力的に、自由になるのか。色々試してみる。たった一言で、ガラリと音色が変わる。のっぺりとしていた顔の音に、表情が出てくる。フレーズがつながり、音楽が雄弁に語り出す。音楽が踊り出し、息づいてくる。音楽の本質を掴み始めると、真の自由が訪れる。固定観念にどれだけ縛られているか、ふだんどれだけ馴れ合いで弾いているのかと、ハッとする。予定調和は、最も嫌う。
綿密なリハーサルのあと、一度はじめから通してみる。通し終わってすぐ「郷ひろみとね、樹木希林がね…」と、突然話し出す山田さん。「二人が、初めてお芝居するときに、郷ひろみさんは、入念に台本を読んでいったんだって。全ての台詞を覚えるくらいに。それで、気合を入れて初稽古。樹木希林さんに『あなた、全然ダメね』と言われる。『あなたね、確かによく読んできてるけど、一通りでしょ?何通りにもなるように読んでこなきゃいけないのよ』と。わたしたちも同じだと思う。どんな風にでもなれるように、練習をするのであって、一つにかためるために練習するのではない。今のも(今弾いたのも)一例ね。面白くなくっちゃ」
休憩に入った。この話は、示唆に富んでおり、心に深く残った。
ホールまで乗ったタクシーの運転手さんから古関裕而さんの記念館がホールの隣りにあるから行きなさいと言われたので、行ってみた。ほぼ独学で??作曲を続けていったようですごいなぁ。戦後の日本の高度成長期の歴史とともに、様々な曲や資料が紹介されており、色々考え深かった。自分の親の世代は、特別グッとくるのだろうなぁと思った。展示の仕方も建物自体もとても素敵だった。奥様とのラブレターの交換が公開されており、これって、、、今でいうと、LINEのやりとりが公開されているような感じかねと友人と笑った。とても仲睦まじいご夫婦だったようで素敵すぎる。
タクシーの運転手さんに、311のときの様子をお聞きすると、なんと、地震の30分前は、桟橋で釣りをしていたとのこと!命拾いしたと仰っていた。地震の時は、街中でタクシーに乗っていたが、はじめのうちは、あまりにすごい揺れでなんだかよく分からず、穴にでも落ちたのかと思ったそうだ。避難所では、釣りの防寒具などがすごく役立ったと。なるほど、キャンプや山道具は、いざという時に助かると聞くものなぁ。あのときは、真っ暗で寒くて怖かったと。あの山を越えた方は津波がひどかったんだと、指差した。大変でしたよね、、そうでしたか、、、としか、呟けなかった。昔のようで、最近のようで。「原発さえなければ」と書いて自死された酪農家さんのことがずっと頭から消えないでいる。原発のことも未解決。痛みも苦しみも引きずったままだ。
ブラームスの交響曲第2番。なんと霊性に満ちた曲なのだろう。
なんて素晴らしいのだろう、なんて深いのだろう、なんて美しいのだろう。星空、宇宙、天地人、愛…。音楽に深く包まれるような、すべてをゆるされるような。演奏していると、時折、深い暗闇が浮かぶ。その暗闇は冷たくはなく、寧ろあたたかい。そのなかの光は、また独特の輝きと温もりがある。超自我のようなもの、全てを俯瞰して包み込む存在を感じる。人間はそれぞれ必死で孤独に生きているのだが、ふと見上げると星が長い長い目で私たちを見守っている。
山田さんの指揮棒、指からは、一音も音がこぼれ落ちない。海の底から、キラキラとした宝ものを掬い取るような、雄大な山をみなで登り美しい景色を見るような、静かに星降る夜のような、そんな時間だった。心の底から、震えるように弾いた。音を出す度に、命を燃やしている感覚だった。岡潔が「数学とは何か」と聞かれて、「生命の燃焼です」と答えたのを思い出した。帰り道は、少しばかり燃え滓になり笑、でも、心の中は潤い、星空を見ながら歩いた。
生きていてよかった~。音楽続けてきてよかった~。生きているのは、それだけで神さまからもらっているギフトなんだと感じた。
神さまありがとう
山ちゃんありがとう
音楽ありがとう
支えてくれている家族、ありがとう
memo
・音程感
・3度のうつりかわり
・はらほれへれ
・ダンスの要素を入れる
・音をいろんな方向に散らばらせる
星座をつくる
・ffはff 区別
・指のパタパタ聞こえないように
・フレーズの頭の音、きちんと
(ピアノのように)
・無意識の世界
・ピクニックにならない笑
・不器用に
・4度の跳躍は、希望
7度は虹、8度は祈り
・YORIMICHI ジグザク
・pizz.は、arco
arcoは、pizz.で弾いてみる
・次の音の風景がもっと前にみえていること
・4拍子は十字を切っている
・スラースタッカートは、身体を切り刻むように
・前の人に合わせないでそれぞれのタイミングで出る。
・縦に合わせようとしない。すればするほど合わない。
・ハーモニーが変わるところ
・強弱が変わるところ、指示があるところは、音色が変わる。音色が変わるためにはそれだけの時間が必要