
家の前のわんちゃん🐶が
亡くなった。15才。
昨日の朝だったようだ。帰宅して、ミニトラックがあるから、何だろうと思ったら、今から火葬場に行くところだった。そのお家の高校生くらいのお孫さんが、集るハエを追い払いながら、ヒクヒク泣いていた。大きな身体なのに、小さくなってヒクヒク泣いていた。居ても立っても居られず、背中をさすった。自分が3才の頃から、ワンちゃんがいたらしい。少年のころの君も泣いているんだなぁ。辛いね。。かなしいね。。。
今の家に引っ越してきたとき、まだまだすごく元気で、ドアを開けると、いつも、ワンちゃんがいた。まだちっこいうちの子達を、それこそおばあちゃんが孫を見るような目で、じーっとこちらを見てくれた。よく子どもたちと撫で撫でしに行った。
ここ何ヶ月は本当に痩せ細り、何とか引きずられながらお散歩する姿を見ていた。
歩かなくなるといけないからと、毎日、ゆっくりゆっくり散歩させていた。公園で、ペターと、横たわり、飼い主さんも首を項垂れて、ベンチで、寄り添っている姿を何度もみた。まるで老夫婦のような姿だった。かなしいだろうなぁ。
当たり前のようにそこにいてくれた存在が
なくなるというのは、不思議な気持ちだ。
穴が空いて、存在が迫ってくる。
私も思いのほか、かなしみが滲む。
ドアを開けても、もういないんだなぁ。
さびしいなぁ。さびしいなぁ。
道ゆく人が、みんな、名前を呼んで、
気にしていた。みんなから愛されてたなぁ。
あの段ボールに入れられて、痩せ細って小さくなっていたワンちゃんに、お花を手向けられなかったのが、心残りだった。
子どもたちと主人のいなくなった犬小屋の前に花を手向けた。子どもは手紙も書いた。絵も描いた。

「◯◯ちゃん。いつもありがとう💜
てんごくでもげんきにしてね。
◯◯ちゃんはいつも
わたしたちをみまもって
くれてありがとう。だいすき」
どうか安らかに。
今日の言葉*
「愛とは何かを与えてくれるから愛するものではなく、ただ、その人が、世界で唯一の人だから愛するのです。」
フランクル