お祝いの場のその空気に、
いろいろなやさしさと希望を感じ、
なんだかジーンとして涙が出た。
ほのぼのとした明るさと共に、颯爽とした風を感じた。
森田さんは真に風のような方だ。森田さんという存在から
吹いてくる風が、人々の心に、風を吹かせ、人と人をつなげる。
いや、「つなげる」という感じとも少し違う。糸か何かで互いを結びつける
ような類いのものではない。ただそこに存在することの尊さを
ふと気づかせてくれるような、透明な何か。さわることも見ることも
できないけれど、そこにいつもある何か。それを気づかせてくれる風。
私は、本を読む時、その内容もさることながら、
読んでいるときの感覚を味わうのがすきだ。
森田さんの文章を読む時、「風」を感じる。
森田さんの風は、清々しいが、どこか懐かしさを感じる。
岡潔の文章を読む時、「水」を感じる。
岡潔の水は、本当に澄んでいて、美しい。
山奥の岩清水のように、キリリと冷たく、美味しい。
初めて、岡潔の文章に出会ったのは、ドイツに住んでいた頃。
「ちょっと気になってる人物がいるんですよね」と
知人に話したら、「あら、それなら、うちに2冊くらいあるわよ」と
地下室から出してきてくださった。そのとき出会ったのが「春風夏雨」である。
その文章を読んでいるときの、感動は、未だ新しい。
心が内側から浄化されていくのを感じ、コクコクとその水を何度も飲んだ。
神保町の古本屋さんでふと手に取った
岡潔の本がきっかけで、数学の面白さや深さに
のめり込んでいった森田さん。
これからどんな風に、変わっていくのだろう。
そこにいる皆が、希望をもって、清々しく
あたたかく見守っているのがわかった。
人が希望を持てるというのは、素晴らしい。
希望というのは、どこか、もっと強く鋭く心に刻むものかと思っていた。
もちろんそういう希望もあるだろう。でも、ロウソクの光のように
ほんのりと光る希望もあるのだなと気づき、そのことに無性に泣けた。
心の深いところで、やさしく、ほのぼのと、静かに、いろんな光が呼応していた。
あの時に感じた、ほんのりとした光をいつも灯していたい。
本当の意味での平和、自由、学びというのは、
こういうところから始まるのかもしれない。
こういう閉塞した時代だからこそ、
こういう人が自由にいろんなところに
風を吹かせ、自然発生的にいろんな花を
咲かせるのかもしれない。
暗いからこそ、明るい、面白い。
生きているって素晴らしいとしみじみとした。
森田さん、本当におめでとうございます。
今日の言葉*
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
諸君はこの時代に強ひられ率いられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性は
ただ誤解から生じたとさへ見へ
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ
むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ
諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか
新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て
衝動のやうにさへ行われる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ
新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンジャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少なくとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである
潮や風……
あらゆる自然の力を用ひ尽くして
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか
宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」