友人2人の展示をご紹介。
鬼頭志帆さんと、小林史子さん。
秋葉原近くにあるアーツ千代田にて。
廃校になった小学校が使われている。
何度か訪れたが、面白い場だ。
しほさんは、インドで撮影された
Pikariという作品集。
(写真転載はご本人の許可をとっております)
©Shiho Kito
©Shiho Kito
そこは蜃気楼のような街。陽炎のようにゆらめく光と夜がありました。
「何千万光年離れた宇宙から届く星の光と、遠い家の小さな窓からもれる灯りは、光を定着させて画像とする写真においては、等しく存在する。」ある日そのことに気がついた私は、夜空の星を見上げるような気持ちでファーナムの家の灯りを眺めました。小さい頃夕暮れの保育園で母が迎えに来てくれるのを、妹と二人で一番星を見上げながらずっと待っていたことを思い出しながら、手の届かない星の光に暖かさを感じ、すぐそばの小さな家の台所からもれる暖かい光に距離を感じながら、自分の帰る場所ではない異国の夜の光をただ見ていました。
しほさんの写真は光が独特。
闇にぼうっと光る、蛍のような。。
振動が細かい。
絵のようにも見えてくるのが不思議。
物語が流れている感じがする。
大切なことは、さざ波のように起こる。
そのさざ波を感じる時間も余裕も
なくなってしまった現代の生活で、
とりこぼしたり、失っているもの
あるんだろうなと感じる。
そのことに気づきもせず。
それは少しおそろしいこと。
しほさんの写真は
その なにかが生まれる前の
「さざ波」のような
「モヤ」のようなものに
ふれている気がする。
ゆらぎやゆらめき
量子力学で
解明されてきているように
すべてはゆらいでいて
振動しているのだろうな。
写真と静かに向き合える時間が楽しみ。
もうひとりは、小林史子さん。
これは本当にインスタレーションを目の当たりに
しなければその熱量も空間もわからないので、
言葉にするのは野暮なのだが、あえてすると、
その作品からは、ムズムズと奇妙な感覚が芽生える。
日用品、生活雑貨、それはどこまでもリアルで、
どこまでも個人的なもの。それをまぁほんとうに、よくもまぁきれいに平面にしたり、積み上げたりしている。
ずっと見ていると、なんだか笑い がこみ上げてくる。
凡人のわたしは、「よくこんなことするなー」と
呆気にとられてしまう。えらい手間ひまとエネルギーである。
究極に個人的な物質たち。人が生活するということの
リアリティと、生臭さ、そして、そこから想起される人生という
物語と、生きていれば誰もが感じたている日常の生々しさや普遍性。
その人が死んでしまえば、使われなくなり、いつかは
風化するであろう「物」たちが、手をつないで(組み体操のように必死に)
芸術作品として息をひそめてそこに存在している。
美しさと醜さ。人と物。内と外。
自己と他者。個と共同体。
いろいろな境界ギリギリの1本の線を
それぞれ繊細につなげ、平面として立体として
見事にそこに立ち上がらせている。
大胆さと繊細さが混在していて、
混乱し、奇妙な感覚をおぼえるのだ。
そしてわたしは、笑いがこみ上げる。
コバフミさんとの出会いは、
いつだっただろうか。
あるイベントで知り合った。
その後も共通の友人も多く、交流があった。
よい意味で「抜け感」がある人だった。
話していても、その目は、どこか
スーッと遠くをみているようで、
不思議な感覚になった。
盲点をつかれるような気がして
でも、それは決して嫌な感じではなく、
ワクワクゾクゾクした。
わたしはひどく人生に悩んでいたころで、
よく心配された。「だいじょぶかーーー」と声を
かけてくれた。そしてしばらくすると、
二人でケラケラと笑った。笑い合うと、
コバフミさん独特の「抜け感」が自分にも
移ってきて、カラコロリと心がスッキリした。
作品をつくりはじめると、ものすごい集中力の
ようだった。「なんかー作品つくってたらさー
手、怪我してたわー。なんか痛いと思ったんだよねー。
あははは」といって、包帯でぐるぐる巻きにした手を
こちらに見せて笑った。おいおいと思いながら、
私も笑えてきた。コバフミさんは、いつもひょっこりと
表れて、わたしに笑いと驚きを齎してくれていた。
彼女が命に関わる大変な病になっていると知ったときは、
とてもショックだった。彼女に限ってそんなそんな。
「いやーまったくさー冗談なんだよ」と、ケロリと
して、笑ってくれそうな気がしてならなかった。
しかし、事態はのっぴきならないところまできていた。
わたしは、動揺した。会いたいけれど、会わないほうが
よいのかもしれない。病院に行くのも遠慮した。
コバフミさんの笑顔を思いだしながら
夜になると、いつも祈っていた。
手術が終わり、しばらくして、
友人たちと一緒に会う機会があった。
おもいのほか、元気そうだった。
私は、その日はコバフミさんに会えると
思うと、嬉しくて嬉しくて、ハグしたかった。
でも、なにか、彼女のまとっている空気をみて
できなかった。なぜだかは今でも分からない。
一度、仲間たちにむけて、
闘病記を共有してくれたことがある。
ものすごい文章だった。凄まじかった。
稲妻に打たれたようにしばらく動けなくなった。
何度かそれから会う機会があった。
わたしのところに、訪ねてきてくれたこともあった。
階段がきつくてさ・・・とポソっと言うコバフミさんは
少し青白い顔をしていて、なんでそんなことにも
気付かなかったんだと、自分に対して怒りがこみあげた。
行きたいところ、やりたいことを沢山話してくれた。
シンミリしたり、いつものように笑ったりした。
それからしばらくメールだけでやりとりをした。
年末だったか。Facebookに、作品集が出ます!と
元気な投稿があった。おぉ。それは喜ばしい!
元気になったんだなー。すごいなー。又会える
と私は能天気に思っていた。
それから数日後。年が明けてすぐ。
息をひきとったことを聞いた。
未だに彼女の死は、受けとめられてないし、
彼女のことだから、きっとまたハハハと笑いながら
ひょっこり現れてくれる気がしてならない。
コバフミさんよ。
しかと見させていただくよー。作品。
コバフミさんに、会える気がしている。
なんだか思い出話ばかり、たくさん書いてしまった。
怒るかな、コバフミさん。消した方がよいだろうか。
まあ、しばらくこのままにしておこう。
たくさんの方が、彼女の作品に出会えますように!