【レポ】音語り✖︎花語り

5/14と6/10に開催しました「音語り✖︎花語り」vol.4 全3公演、無事に終演いたしました🌸

ご来場くださったみなさま
誠にありがとうございました😌

どの回も、忘れがたいものになりました。

6/10 は、雨ではなく、奇跡的に蚊もおらず、お庭で、遊ぶ子もたくさんいて、市田邸の力が最大限に発揮された日でした。

演奏がはじまっても、人見知りと、場所見知りで、なかなか中に入らないお子さんが何人かいました。襖も全て取り去り、窓も開けて、開放的にしていたので、お庭で遊びながら、時々こちらから聞こえてくる音に反応したり、足元の虫に夢中になったり。近づいたり、離れたり。聞いたり聞かなかったり。その姿を見て、ハッとしました。こどもたちは、遊びながら、音楽と共にいる。音楽と近づいたり、離れたり、歩いたりしながら、時間を共にしている。

そしてこの状況をゆるすのは、市田邸という百歳になる日本家屋の器の大きさ、包容力の賜物なのだろうと実感しました。取り外し可能な襖、今は貴重な縁側、そのさらに外にお庭。和室が自我、お庭が他者だとすると、縁側は、自我と他者の「あわい」。襖は、自我を簡単に拡張し、また簡単に閉じることができる壁。幾重にも重なり広がり、伸び縮みのある自我。西洋に比べて、アイデンティティがあいまいな日本ならではの構造。自分という人間は、他者(社会)そして外界とつながりがあり、そこにもれ出たり、開いたり閉じたりする存在である。音楽も人間も自由に行き来するものであり、交流するものである。そのことを、のびのびと過ごすこどもたちの有り様、そして彼らを大きく包み込むような市田邸から教わりました。

今やマンションでは和室もなかなかないですし、畳も知らない、ましてや縁側なんてついぞ知らない子どもたちも、いるかもしれません。養老孟司さんの著作で、この社会から「死」は抹殺されて見えないような構造になっている、家で人が死ななくなった、ほとんどの人が病院で死ぬ、マンションのエレベーターは、棺を運べないようになっている…というような話も思い出しました。人間が人間らしく、日本人が日本人らしくあるとは、どういうことなのだろう。自然であるとは、どういうことなのだろう。生きるということ、死ぬということ。庭に息づく小さな苔、枯れた葉や枝、ムッとする湿気。それらが、建物と一体となって循環して息づいている市田邸で、色々なことを感じました。

古いものが次々と壊され、マンションばかりが立ち並ぶ。土が削られ、コンクリートで埋められる。虫は、居場所を失い、彷徨う。

子どもたちに私たち大人が遺せるものは、遺すべきものは何だろうか。すべてはつながっている。そんなこともどこかで心に留めながら、音語りをこれからも続けていきたいと思いました。

小学校5年生のときから教えている森永かんなさんと、一緒に弾くことができたことも、感無量でした。これからも、若い演奏家たちの輝く場でもあってほしいです。

ありがとうございました!
これからもよろしくお願いいたします。

◆◆これからの音語り◆◆

◆子育て音楽サロン
https://sachikohongo.wordpress.com/2023/05/12/ko-3/
2023.6.21 @にしやま助産院(入谷/鶯谷)

◆音語り 〜NHK交響楽団首席ヴィオラ奏者 村上淳一郎さんをお迎えして〜 vol.6
2023.8.2 @としま区民センター

◆8/2の公開リハーサル
2023.7/29-8/1 @澤田写真館


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