少年

公園で子どもたちと遊んでいたら、
凛々しい少年が駆け寄ってきて
「この携帯あなたのではないですか?」と。

待ち受け画面には
可愛い小さい女の子の写真。

「違うなぁ…誰のだろうねぇ」
「わかりました!」と
言い終わる前にタッタッと走って、
公園の大人全員に話しかけていた。

持ち主は見つからない。
だんだん夕暮れが濃くなってくる。

少年は友達に「お前それどうすんの」と
言われて、うーん、、と困る。

待受画面から想像するママと女の子が
携帯がない!と必死に探す姿が思い浮かぶ。

「持ち主きっと困ってるね…
どこだろうねぇ…オッケー!
交番にこれ届けに行くよ、
みんなに聞いてくれてえらいなぁ!
ありがとうね!」と引き受けた。

Googleマップで、交番を探すと出てきた。

「あ!ここの交番は、
人が普段いないんですよ!」

「へぇ、そっか。ともかく電話してみるね」

警察署につながった。
今から交番に1人向かうとのこと。

「お巡りさん👮がきてくれるって!
今から届けに行くね。
持ち主に届くと良いねぇ。ありがとね♪」

「わかりました!ありがとうございます!」

な、なんて礼儀正しくて、
いい子なんだろう……
目がきれいな子だ…
しばし、感動🥲

「じゃ、お前帰るんだな?」と
友だちに聞かれてまたタッタッと
走って行った。
君の気持ちを届けるからね👍

子どもたちを自転車に乗せたら、
電話が鳴った。迷ったが、出た。

「もしもし!どう?見つかった??!」

急いだ感じでこう聞かれた。
ご友人のようだ。
自分は拾い主(届け主?)で、
今から交番に届けること、
その住所を伝えた。

「よかったぁ…」

お互いにそう自然に呟いて、
電話を切った。

交番に着いたけどまだ無人。
子どもたちが飽きてしまったので
少し徘徊して、戻るとお巡りさん👮が。

事情を話すと、

「電話に出てしまったのですね…」
(あちゃー)という顔。

「そうなると、警察を通すので書類を作らないとなりません。もし電話に出られたら、次回からはご本人同士でやり取りしていただけたら」

そうなのか…。更に聞くと、わからなければ、警察は携帯会社に電話して、持ち主を探るらしい。なるほど🧐

「でもそうなると、持ち主に届くのにすごく時間がかかりそうですね…」

「まあそうですね」

とにかく今回は、持ち主に届きそうでよかった。「では!」と帰ろうとしたら、眉毛をハの字にして、女の子を抱っこしたおかあさんが…!心配したよなぁ…よかった!無事に持ち主に届いたぁ✨

「ママ、よかったね!あの男の子にも教えてあげたいね!あの子もう帰っちゃったかなぁ」と娘ちゃんが話す。ほんとそれ!

自分もよく物を失くすので、明日は我が身である…。あの時電話に出るか迷ったけど、持ち主に早く渡ったし、よかったと思った。

でも、
お巡りさんは、「電話に出るなら、自分で返せ。警察に届けるなら、電話に出るな」と遠回しにちょっと迷惑そうに話してたな。
苦笑。。。

ということは、今回の場合、電話を出た後、持ち主に渡すまでは自分が責任を持って対処し、交番には事後?それを言いにいくべきだったのかな🧐

もしくは、すぐに交番に電話せず、しばらく待って、電話がかかってきたら対処し、かかってこなければ、届ければ良いのか🧐?

なんだか、あのおまわりさんに迷惑そうにされたのが、ちょっと悲しかったなー。

あのとき、「この携帯、もともと男の子が拾って、届けたんですよ。せっかく届けたのに、その子の気持ちも、踏み躙られたみたいで、そんな風に迷惑そうに言われてちょっとかなしいです」とでも言えていたら😶‍🌫️モヤモヤが晴れるのだろうか??

いやはや、どうなのか?その言い方😂
女はともかくも「気持ち」に共感して欲しい生き物なのだと自覚する。そして、わたしは、携帯を届けたのだけど、あの少年の「気持ち」も届けたかったのだなぁとも気づいた。

今度もしまた会えたら、
少年に、あのとき届けたよーって伝えよー。

あんなにいい子がいて、
この世は捨てたもんじゃない!
未来は明るい!と思った⭐️

少年、ありがとう。

今日の音楽*

今日の言葉*

“布施についてさらに考察しますと、仏教の「布施(ダーナ)の実践」はかなり難しいことがよくわかります。『倶舎論』には、布施にならない七つの行為が述べられています。

「随至施」 ください、ください、とあまりしつこく乞われるので、断り切れずにする施し。

「怖畏施」 それをしないと、どうも具合が悪いことになりそうだと、恐れてする施し。

「報恩施」 かつての恩に報いるためにする施し。

「求報施」 施しをしておくと、きっとお返しがあるだろうと、返礼を期待してする施し。

「習先施」 習慣であり、先例があるからといってする施し。

「希天施」 その功徳によって、来世は天界に生まれたいと願ってする施し。

「要名施」 自分の名声を高めるためにする施し。

こうなると、ほとんど布施の実践など不可能ではないのか、という気さえします。まさに自分が単なるうつわ状態でないと成立しません。

いずれにしても、仏教において「布施」とはとても重要な実践行為です。ヒンドゥー文化圏における仏教以前の主要宗教であったブラフマニズム(バラモン教)では、宗教儀礼が体系の主軸でした。ところが仏教は「布施」を軸にしたのです。これは当時のヒンドゥー文化圏では、都市国家的形態が発達し、市場経済が広域に展開されていった事情なども関係していたようです。”

釈 徹宗

https://gendai.media/articles/-/113433?page=4


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