お空にかえったの

ここのところ、早朝に起きる坊やのため、寝不足気味。朝6時に坊やをヨイショと抱っこしてベランダに出てみると、予想以上の空気の冷たさに驚く。「さむーい!」「さむいねぇ!」最近よく話すようになり、コミニュケーションが楽しい。眠くて眠くて、リビングでゴロゴロしていると、目をこじ開けてきて、身体に乗ってくる。あたたかな柔らかな身体は、生きている!を全身から発している。

日曜日。空気がヒンヤリしていて、光がキラキラしていて、おだやかな静かな清らかな日だった。昨年亡くなった友人のお墓参りに行った。偲ぶ会で、演奏したクァルテットの仲間たちと。あれ以来会っていなかったけど、心は深くつながっている感覚があった。みなが、彼女の死を受け止め切れず、みなの心の中に、消えぬかなしみがあり、彼女の存在があった。今日の天気のように、おだやかでやさしく清らかな心の人たちで、一緒にいると、自然と、おだやかな気持ちになれた。はじめましての子供たちも、懐いた。

ランチを一緒にしながら、これからママたちのお友だちのお墓に行くんだよと、説明した。「死んじゃったの?」そう、お空にかえっていったんだよ。「へー!お空に?」うん、あまちゃんもお空からきたんだよ「へー、そうなんだ」それで、そこにお友だちはお空に帰っていったんだよ。「おはかってなあに?」お友だちが寝ているところだよ。死んだひとたちが静かに眠っているところ。「お空にいったんじゃないの??」そうだなぁ、、なんて言えばいいんだろう。骨があるの「ほね?ほねってなあに?」うーん、そこに行くとね、お友だちが空から降りてきて、お話できるかもしれないの。一緒に行ってみようね。

こどもの直球の質問に、しどろもどろになってゆくわたし。

しんじゃった
おはか
ほね
おそら

会えなくなること、死んじゃったこと、お空、お墓、いろんなことを大人たちに質問して、一所懸命、理解しようとしている娘が愛おしかった。本当は、私たちだって、死ぬことは自分が死ぬまで理解できないし、大切な誰かを失うことは、ずっと受けとめられないんだよね。

お墓につくと、アゲハ蝶がヒラヒラと舞っていた。蝶は、死者の生まれ変わりとも聞いたことがある。来てくれてるかな??水遊びが大好きなイヤイヤ期の坊やは、柄杓を「自分で!」と言って聞かず、何度も何度もお水をあげていた。お線香の煙とにおいが、立ち上がる。さわりやしないかと、ヒヤヒヤする。子どもたちのおかげで、湿っぽくならずに、清らかな気持ちで、静かに祈ることができた。目の前で、笑ってくれている気がした。子どもたちも神妙に目を閉じて手を合わせた。

「ここで眠ってるなら、気づかないんじゃない?」

そうかもねー、でも水ジャバジャバかけたし、たくさん笑ったし、起きちゃったんじゃない?

そう話すと、またキャッキャッと笑った。こどもは無邪気で、素晴らしい。生きているね。輝いてるね。

去年はいろんな人がバタバタとなくなった。心が全く追いつかなかった。心が置いてけぼりのまま、一年があっという間に過ぎた。

残された者はどうしたらよいのだろう。そんなことを何度も感じて、立ち止まって、悲しんでいたけれど、自分たちが、自分たちの命を輝かせること、どんなことがあっても、毎日を味わうこと、楽しむこと、それを喜んでくれるのではないか?それをいつも見守ってて、応援してくれているのではないか?そんな風に感じるようになった。

今日は、清らかな日だった。
ありがとう。

今日の言葉*

“ 新学期が始まる日、まわりのみんなが「おはよう、今日から学校だね」って笑顔で言葉を交わすとき、「私は学校に行きたくない」ということを考える気持ち、何となくわかります。  だから思うの、そう思うこと、それはそれでいいじゃないって。  私は小さいとき、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人のことを観察してた。学校に行かない日もあったけど、父は決まって「行かなくてもいいよ、それよりこっちにおいで、こっちにおいで」って言ってくれたの。だから、私の子どもがそういうことになったら、父と同じことを言うと思う。  それにね、学校に行かないからって、何もしないわけじゃないでしょう。人間にはどんなにつまらないことでも「役目」というのがあるの。  「お役目ご苦労様」と言ってもらえると、大人だってうれしいでしょう。子どもだったら、とくにやる気が出るんじゃないかな。  ただね「ずっと不登校でいる」というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。うちの夫がある日、こう言ったの。「お前な、グレるってのはたいへんなんだぞ。すごいエネルギーがいるんだ。そして、グレ続けるっていうのも苦しいんだぞ」って。  ある意味で、不登校もそうなんじゃないかと思うの。学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。そういう機会って絶対訪れます。  私が劇団に入ったのは18歳のとき。全然必要とされない役者だった。美人でもないし、配役だって「通行人A」とかそんなのばっかり。でも、その役者という仕事を50年以上、続けてこられたの。  だから、9月1日がイヤだなって思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。  私も全身にガンを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。  無理して、いま死ななくていいじゃない。  だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。 ”

樹木希林

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