何者でもないわたし

今年のはじめ。私の一瞬の不注意で、口を強打して、歯ぐきから出血。歯は割れていなくて経過観察だったが、どうやら神経が死んで膿が溜まってしまったようで、処置が必要になった。

子育てはいつも危険と隣りあわせ。
特に男子は、予測不能に動く。「あのとき、私が気を抜かなければ、歯も無事だったのに、この子に、こわい思いも、痛い思いもさせずに済んだのに、、」と思うと、泣き叫びながら診察台に座る息子くんに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

罪悪感と自己嫌悪が
黒い雲のように自分を覆った。

心の余裕がなくなって、ほかのことでも叱って、しばらくして、叱った言葉が自分の頭の中でリフレインして、あんなこと言わなきゃよかったと、自転車漕ぎながら、涙が出た。

帰宅してからすぐに、素直に、自分の気持ちを息子くんに伝えた。

「あんな風に叱ってごめんね。嫌だったよね。」
「ママが気をつけてなかったから、転んじゃって、歯の治療しなくちゃいけなくてごめんね。」

ウン…と小さく言う。

抱きしめて、頭を撫でて、
背中をトントンする。

こどもにしているようで、
傷ついて疲れた小さな自分にも、
抱きしめて、頭を撫でて
背中をトントンしているようだった。

弟とケンカをして、
「もうお世話するのお姉ちゃんいやだ!」と、
泣くお姉ちゃん。

いつもなら、
「仲良くねー!」と
言って終わりだったけど、
「こっちにおいで」と言って、
膝に乗せて、ギュッとして、
抱きしめて、頭を撫でて、
背中をトントンした。

「嫌だったんだねー」
「うん、、ワーーーン!!!」と
大声を出して泣く娘ちゃん。
感情が深くて、繊細で、それでいて、激情型なのは、私の母にそっくり。あまちゃん劇場が広がる。

泣いているのを抱きしめていたら、
なんだか自分も涙が出てきた。
「ママ、疲れたなぁ…」
「なんで、ママ泣いてるのよ」
「泣きたいから」

娘は、ワーーーーーンと激しく一頻り泣いて
私は、シクシク静かに泣いて
しばらくして、シーンとおさまった。

何事もなかったかのように、
「さっきはごめんね」と弟が謝り、
「うん、いいよ」と姉がゆるして、
ケロリと2人で遊んだ。

きちんと謝れて、えらいな。
きちんと謝れない大人も、たくさんいる。
わたしも、きちんと謝れるようになろう。

こどもは、感情を素直に出せてよいな。
おとなも、もっと素直に出したらよいな。
わたしも、素直に出すようにしよう。

私は、小さいころ、大人の機嫌を伺って
「良い子」であろうとする子だった。
その反動や、そのころ溜めていた
ピュアな子供らしい感情は、
マグマのように
自分の地下に埋まっていて、
大人になってから爆発した。

怒りの下には、かなしみがあった。

自分らしくありたかった。
何者でもない自分でありたかった。

だから、自分の子は、「良い子」にだけはなってほしくなかった。娘ちゃんは、激しい気質で、息子くんは、おっとり気質で、こんなにも人間は生まれながらに違うのかと、驚きながら、2人の人間を毎日眺めている。はて、私は、「良い子」を育ててしまっていないか?といつも自問する。今のところ、子どもらしい子どもである気もする。子どもらしさをゆるしすぎて、甘すぎると言われることもある。わたしは、叱るのが苦手だ。常に罪悪感が付きまとう。小さい自分と大きい自分では、まだ小さい自分が勝るのかもしれない。理性と愛情で、もっと大人にならねば。

子育てしていると、「小さい自分」と出会う。「小さい自分」と対話しているようでもある。

思い切り泣きたかった自分を抱きしめる。
思い切り怒りたかった自分を抱きしめる。
思い切り喜びたかった自分とダンスする。

幼少期を、追体験する。

それは、共に歩んでゆき、
小さい自分が癒されていく
素晴らしい経験と時間でもある。

大きい自分を育てよう。
小さい自分を慰めよう。
2人とも抱きしめよう。

次の日。

保育園に送って帰り道、花を買った。橙色と白が、心に映えた。

ふと、ピアノに向かった。今度すこし伴奏する曲がいくつかある。ショパンの遺作を読んだ。楽譜を読んで音にすることは、シンプルで深遠な行為だ。写経にも似ているかもしれない。文字を紙に写す、紙にある音符を空気に写す。空間に放つ。自分も放つ。無心になる。没頭する。全てを忘れる。

落ち込んでいた気持ちが、ピアノやヴァイオリンを弾くことで次第に晴れていった。楽器を弾いているときは、音楽とつながって、何者でもない、母でもない、妻でもない、ただの私であれる。そして、弾いているうちに、「ただの私」もとけてなくなって、ただ音楽になれるときがあって、続けてきてよかったなとしみじみとする。

音楽はいつもすぐそばにいてくれる。
どんな私も受け入れてくれる。
全てを脱ぎ捨てて、
何者でもない私に戻ることができる。

何者でもないわたし、
こんにちは。

今日の言葉*

だれもが片一方で孤独への願望がある。しかし孤独の中にはいってしまったら、結局世の中をよくしていくことはできないわけですから、世の中をよくしていく方向で、やはり俗塵にまみれるという気持ちが必要である。孤独への願望をもっていないと魂は清まらない。しかも孤独にとどまってもいけない。大きな理想をもつ人間だれもがもつ矛盾だと思うのです。(梅原猛『生命の海〈空海〉』)

今日の音楽*

◆これからの音語り

◆ヴァイオリン二重奏 おはなしコンサート〜加藤えりなさんをお迎えして〜

2024.6/23(日) 14:00 宋雲院(台東区役所前)ヴァイオリン:加藤えりな、本郷幸子

◆音語り 〜NHK交響楽団首席ヴィオラ奏者 村上淳一郎さんをお迎えして〜vol.8 

2024.7/3-6 公開リハーサル

7/7 コンサート


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